■雲南 瀘沽湖 と 新平県戛洒鎮(5回目)
その一





■瀘沽湖と戛洒(がさ)へ




 1998年の9月、そして1999年3月に雲南の瀘沽湖へ行きその素晴らしい景色と摩梭人のオリジナリティを見てからもう一度は行きたいと思っていましたが 農歴の7月25日は瀘沽湖の獅子山祭(轉山節)があるという事で、5月に貴州でお世話になったガイドの熊さんと出かける事にしました。瀘沽湖の後はいつもの新平県の戛洒鎮行きです。


今回は昆明までのチケットは横浜の港華旅行という会社で\81,000




ビデオカメラはキャノンのXV1
インスタントカメラは今までフジのチェキを持参していたのですが今回はからはデジタルカメラ+インスタントカメラが一体となったプリンカムとフィルム100枚を持参しました。





旅の主な日程




 1日目 羽田から関空へ 関空から昆明へ  3Q4512で麗江へ
 2日目 麗江からタクシーで瀘沽湖へ
 3日目 瀘沽湖へ 里格島へ 瀘沽湖舟で周遊
 4日目 瀘沽湖へ 摩梭人宅訪問
 5日目 瀘沽湖 獅子山祭り 午後麗江へ 
 6日目 麗江観光
 7日目 麗江から 高速バスで昆明へ
 8日目 昆明から 戛洒へ
 9日目 戛洒滞在
10日目 戛洒滞在
11日目 戛洒滞在 魚塘、水イ泰族訪問
12日目 戛洒滞在 大紅山へ
13日目 戛洒滞在 午後 新平県城へ 同泊
14日目 新平から昆明へ 西山竜門 
15日目 昆明 雲南民族村 昆明から羽田へ 帰国





登場してくる人物は略称です。

  熊さん    凱里CITSの日本語ガイド
  T1さん   花腰タイ族の小姐 以前 招待所で働いていました。
  T2さん   花腰タイ族の小姐 以前 映画館で働いていました。
  T3さん   花腰タイ族の小姐 製紙工場で働いています。



デジタルカメラの映像




 フジフィルムのインスタントカメラ+デジタルカメラのプリンカム(PR21)を今回持っていきまして600枚ほど撮影してきました。差し上げた写真の為の映像が多く有りいつもより女性の映像が多い結果となりました。

これを3つに分割して200枚づつ公開します。実行形式のWINDOWSマシン用(3.1は除く)のスライドショーとなっています。
解像度は 640x480dot がほとんどですが一部 1800x1200dot のものもあります。
サイズが大きいので御注意下さい。

残念ながら、私と特に親しくしていただいている方の写真は入っていません。
尚 これをCD−ROMでご覧いただいている方はCD−ROMの中の SLIDE.008 というフォルダーのDPGINDEX.EXEを実行して下さい。スライドショーがメニュー形式でご覧いただけます。(中文WINDOWSでも問題無く動作します)


  A (16MByte)
  1日目から獅子山獅子山祭りの途中まで

  B (14MByte)
  獅子山祭の途中から戛洒滞在まで

  C (18MByte)
  戛洒滞在から最終日の帰国まで






1日目 昆明、麗江へ



今回も、日本エアシステムで羽田−関空−昆明線です。
朝3時半に家を出て午前6時に羽田空港に到着、今回も羽田−関空便はビジネスシートでした。定刻に関空に付きJD233の昆明行きに乗るのですが、その便はどうも朝 羽田から乗って来た機体のようです。各手続きの為 空港ビルをグルグル廻ったのではっきりしませんが搭乗ゲートの位置からどうもそのようです。(機体ナンバーは確認していませんが)その後 順調に昆明に到着しました。
機内では貴州省の研究をされている金丸良子先生の知り合いの方と隣になり、現在熊さんの上司の万経理と共に貴州で行動を共にされているとお聞きしました。

予定どおり午後2時半に昆明に到着したのですが、空港でドルのT/Cの両替をしていましたら行員がどこかに電話していてその返答を待ってから換金となり20分も両替に時間がかかりました。いつもカメラとビデオカメラがチェックされる税関には人がおらずノーチェックで通過しました。

税関前にはいつもの昆明のガイドのTさんと貴州凱里のガイドの熊さんが待っていました。Tさんには日本まで電話を掛けてきて日本語WINDOWS98を買ってきて欲しいと頼まれていましたのでその受け取りの為です。

中国で使われているパソコンのソフトウエアの96%は無断コピー品だそうで、きちんと購入を依頼された事自体は良い事なのでしょうが私自身は一人での旅行でザックを背負っていくので荷物が増えて大変です。
そのガイドのTさんはやっとパソコンを買ったのですが1台のパソコンで日文と中文のWINDOWSを同時にインストール出来ないようで、昆明の電脳ショップに依頼したようですが、そこでは以前 私がお土産に持っていったWINDOWS95のインストールが出来なかったようです。
その為 WINDOWS98であれば何とかインストール出来るのではないかという事のようです。(デバイスドライバーは、WINDOWS98【MEを除く】の方がサポートしているデバイスが多いという事だと思います)私としては今までの経験から中国にあるのパソコンのインストールにはタッチしたくないというのが本心です。必要なデバイスドライバーが無いという環境ではどうしようもありません。成果もなく、折角の中国滞在の時間が無駄になってしまいます。
また中国では日本語が出来て、パソコンに複数語のWINDOWSをインストール出来る能力のある日本語ガイドは数少ないようです。某MLで活躍されている新疆ウイグル自治区の日本語ガイド氏がおられますがその方は日本語のホームページまで作られていますが 素晴らしい能力の方です。

空港ビルで3人で夕方の麗江行き3Q4512を待つ為にお茶です。以前は国際線出発ロビー近くに小飯店?があったのですが今は無く空港ビルの一番西側です。
5時過ぎに初めて昆明の新空港ビルから国内線に乗り麗江へ、定刻を少し遅れ離陸しました。機内では隣に上海のカップルが乗っていて早速プリンカムで撮影し差し上げましたら大変喜んで下さいました。(女性の方が大変美しい方で さすが上海と納得)

久しぶりに麗江の空港に到着しましたが空港ビルが更に整備されていました。空港ビルの前から乗合のワンボックスカーで麗江へ向かいます(10元)30分ほどで麗江に入ります。明日の瀘沽湖行きのバスの時刻を調べる為に民主路にある麗江客運服務中心站で降ろしてもらいました。ここで明日朝7:30の寧ラン行きのチケットを購入(32元保険込み)そこからタクシーで麗江賓館へ。
この乗り合わせたタクシーの運転手がまだ若い女性のシャレードで瀘沽湖へ包車で行くかどうか聞いたところOKとの事、往復800元、瀘沽湖では200元/日という事で急遽お願いする事にしました。(運転手の宿、食事代は相手持ち)瀘沽湖往復は公共汽車があるのですが瀘沽湖での足が心配です。また獅子山祭りの会場までの足も心配でした。

麗江賓館は古い建物のあった場所に新しい新館が出来その新館は3つ星で3百元台だそうです。私たちは今までの旧館(120元)に宿泊。熊さんは公共汽車站に退票に行ってくれました。感謝。夕食は四方街にて。明日は早いのですぐ就寝です。




2日目 瀘沽湖へ




麗江賓館では朝食が全く無く、麗江賓館前の米線屋で炒飯で朝食、昨日頼んだタクシーがやってきましたが、やっぱりというか運転手は昨日会った女性とそのご主人の2人でした。その方が安心ではありますが。

朝8時に出発、鉱泉水を購入、用心の為、中国銀行で$200ほど両替。
数Kmほど走ると寧ランへの新道の交差点ですがこの新道、舗装の為とかで11月まで通行道の為、やはり旧道を行き永勝廻りとなりました。残念。

金沙江を渡り、午前11時に永勝到着、少し早いのですが回族食堂で昼食です。この永勝から寧ランまでの道路ですが部分的にかなり悪路だったのですが 1年半前よりも舗装・狗頭石の区間が延び、小型のシャレードもかなりのスピードで走ります。ところが永勝でこの運転手の知り合いのタクシーと出会い、やはり瀘沽湖へ向かうとの事だったのですがこの車の調子が悪く、後ろからなかなかおいついてこないので心配らしくこちらも ゆっくり走っていました。

(石包)馬坪で休憩です、ここは彝族の民族衣装を前回多く見かけたのですが今回はその民族衣装も少なく、数人ほどの女性の民族衣装を撮影、やはりかなり嫌がって撮影困難です。それでもインスタント写真の効果は大でした。

新営盤では道端に林檎が売られていて立ち寄った所でもプリンカムが大活躍、差し上げた写真がこちらの手元にも残ります。彝族の女性も最初はなかなか写真撮影を嫌がるのですが一度 写真を手渡すと愛嬌のある態度に変わります。

3時過ぎに寧ランに到着、小涼山賓館にある瀘沽湖旅行社に向かいます。ここは何故か看板のタグイが全く出ていません。以前瀘沽湖でお世話になった摩梭人の楊さんがどうしているか聞いてもらった所、現在こちらで働いているが今は麗江で集金を半月ほどされているとの事、一人の女性が半月も集金に廻らないといけない経済の仕組みは日本の常識を越えるものがあります。ここでついでですので摩梭人のガイドを2日間お願いし獅子山祭りの前日と当日、瀘沽湖へ来てもらうという事を約束しました。

寧ランから瀘沽湖の道路は前回工事で深夜のみの通行でしたが今回はその工事も終わり、その道路の全てが舗装と狗頭石の道路となっていて、2時間で瀘沽湖の落水に到着です。落水手前の展望台の展望もまあまあです。瀘沽湖入口のゲートで観光客である私のみ、32元の入域料を支払い、3度目の瀘沽湖です。

落水の宿はいつもの民族園です。(20元/床)宿の女性経営者も私の事を覚えていてくれました。湖畔の通りもお客さんが多く民族園もかなりの人数のお客さんがいました。私の部屋は前回の時の上の階の3階の角の部屋でテレビもコンセントも今回はありました。
民族園前の湖畔の通りも綺麗に整備され、1年半前で多くの民宿が工事中でしたがほとんど全ての民宿が完成して営業していました。同行してくれたガイドの熊さんはなんだかお客さんが多く不満そうです。いつもの昆明のTさんはなんだか田舎が嫌なような素振りですが苗族の熊さんは日本人以上に素朴が好きのようで、両極端です。

夕食は民族園にて、毎晩行われる摩梭人の踊りは民族園から3軒隣の民宿で8時半からで、入場料10元で2晩以降は無料です。あまり広くない民宿の庭がお客さんで一杯でした。摩梭人の女性の歌声のお客さんの声でかき消されてしまいます。なんだか瀘沽湖も俗化してしまったような気持ちです。熊さんはがっかりだったらしく途中で宿に帰ってしまいました。

後で熊さんに感想を聞いても瀘沽湖に対してはやはりかなり否定的な意見でした。こんなに正直に観光地の感想を口にするガイドというは初めてです。5月の貴州・黄平での「四月八」のお祭りの内容についてもかなり否定的な意見でした。良い物、悪い物の評価を自分の仕事上の不利益に左右されずはっきり発言する姿勢は感心するものがありました。

1年半ほど訪れない間に、瀘沽湖は道路や宿の整備と共にお客さんが増加して秘境瀘沽湖というイメージは私自身も急激にしぼんでしまいました。
そんな中でもこの夜は前回会った若い曹さんとも再会でき、前回映した写真をお渡ししました。







3日目 瀘沽湖滞在1日目






朝食は民族園にて。包車で永寧へ向かいます。しかしこの季節、雲南は雨期で里格島へ降りる交差点を過ぎるとかなりのぬかるみで小型のシャレードではもう進めませんでした。仕方がありませんので里格島へ行って見る事にしました。
里格島への道を降りて行きますと、里格島へ前回、舟で乗せてくれた人達と再会し、向こう側が私を覚えていてくれました。再度、お願いしたところ乳児が生まれたとかで駄目、結局いつのまにか大人がいるのにも関わらず10才ぐらいの女の子2人が櫓を漕いでくれていました。(片道20元)る
里格島に渡り、島の頂上から降りて行きますと、民家の中に入っていきます。そしてこの家が民宿になっていたのです。阿注婚で有名な里格島で民宿とは・!
建物は一般の摩梭人の家のままでしたが室内がかなり綺麗になっていました。

その家から3軒ほど隣の家が里格島を訪れると毎回立ち寄る家で娘さんが昆明の民族村で働いています。やはりこの家でも家長が私の事を覚えていてくれました。暫くすると家の中から民族村で働いているはずのその娘さんが出て来ました。(曹雪蘭−打史独楊)驚いて聞いてみますと5人ほどの瀘沽湖の摩梭人の女性が民族村を辞めてこちらに戻っているとの事で、今は永寧の女性ばかりで瀘沽湖の女性は2人のみという事でした。

1時間ほどお邪魔してから帰る事にしました。彼女は途中まで送ってくれたのですが、私が3月に大理で会った里格島に民泊していた男性がお世話になった家に案内してもらいました。その家は私が訪れた摩梭人の家の中では室内が一番綺麗で、これなら長期にお世話になってもなんとか暮らせるかもしれないと感じました。結局彼は私と大理であった後 更に1ケ月この家にお世話になり、2ケ月間里格島に滞在したのだそうです。

その家を後にして小船に乗った場所まで帰ってきますと送ってくれた里格島の女性の母親が偶然いて、その母親にも頼んで彼女を落水まで同行してもらう事にしました。

包車で落水まで戻り、全員で湖畔の湖思飯店で昼食です。湖畔ではこの食堂ぐらいが自由に食事が出来る所というのは1年半前と変わっていないようです。
食事後、瀘沽湖遊覧の船着き場まで行き、いつも同じですが2島の島巡りとなりました。お客さんであるはずの里格島の娘さんも一生懸命に漕いでいました。?
最初に蛇島に行きますと、島の最上部に新しくラマ教のお寺が建設中でここの責任者が前回民族園に滞在していてお寺の彫り物をしていた元中学の先生で、再会出来ました。前回、子供に彫り物をお土産にいただいたので帰国後 日本から寺社の写真集ほ送ったのも届いているとの事。彼はここで10人ほどの人と共に寝起きをして建設に励んでいるそうです。このラマ教のお寺は落水の人々の25万元の寄付によって建設されているのだそうです。

蛇島から里務比島を廻り、再び落水の船着き場に、里格島の彼女だけ包車の運転手に頼んで里格島へ送ってもらいました。
夕食は再び湖思飯店にて、ここの2階はインターネットが出来るというので上がってみますと写真が飾ってあったりでかなりゆっくり出来る空間でした。(20元/1時間)パソコンには中文之星が入っていて日本語の使用も可能だったのですがここの経営者は使い方を知らないという事で日本語の表示設定だけは説明してきました。

夜は再度、昨夜と同じ場所で摩梭人の踊りがありました。この日は天気が悪かったせいかお客さんの数が少なく、前回瀘沽湖を訪れた時のような雰囲気が再びありました。しかし麗江−寧ランの道路が再開され更にお客さんが増えれば、瀘沽湖の雰囲気が更に俗化すると思われます。








4日目 瀘沽湖滞在2日目




この日は摩梭人の民家訪問の予定です。最初に前回訪れた曹珍さんのお宅ですが昨夜、彼女の妹さんと踊りの時にお会いして、今彼女は又黒白大酒店で働いているとの事でしたが訪ねる事にしました。最初上落水の彼女の家が判らず随分と熊さんが聞いてくれてやっと家を見つけました。妹さんがいて迎えてくれました。
彼女は雲南大学の学生さんで歴史の先生になる予定だそうです。今は夏休みでここに帰っているそうで、ズドダブと下の妹?さんがいました。熊さんがいろいろと話をしていましたが、なんだか私は元気が無く1時間ほどで次の家へ

次の家も前回訪れた家で女性ばかりの一家の為、外から男性を迎え入れた家です。お邪魔してみると年配の男性が庭で明日の獅子山祭りに持っていく、ラマ教の教典が書かれていると思われる版木で色鮮やかな紙にそれを刷っていました。前回訪れた時にまだ乳児だった子供も大きくなって歩いていました。

この日はこちらに瀘沽湖旅行社からガイドがやってくるはずですが何故かやって来ないので熊さんが電話してみますと、その意志が無いとの事で理由不明です。
仕方がありませんので公共汽車で永寧に向かう事にしましたが、午後2時まで公共汽車が無いとの事、これも断念、糧食局のある建物で昼食し、包車まで戻り、明日の獅子山祭りの場所の下見に出かける事にしました。

獅子山祭りは旅行人の富永さんの地図のとおりで里格島へ降りる交差点から別れる道路でした。シャレードはぬかるみの中を進み、人間が降りたり、乗ったりを繰り返しながら会場に向かいます。この道路は前回、麗江の南方旅行社の車で訪れた事がある道路ですが今回も途中でやはり断念。最後は徒歩で現地近くまで行き確認しました。

帰りは再度 里格島に寄り 昨日彼女の忘れ物を届けました。彼女も歩いて獅子山祭りに出かけるそうです。1時間ほどお邪魔してから交差点まで戻りますと、一昨年と同じように松茸を採って売るために待っている人が10人ほどいました。この人から松茸1斤(60元)を購入、民族園に持ち帰りました。夕食はここで松茸です。民族園ではまだ日本人の為に松茸を焼いた事がないという事で最初はなかなか判って貰えませんでしたが、瀘沽湖の魚を焼く為の炭火で焼く台を持ってきてくれて半斤ほど焼いてもらいました。残り半分は熊さんが炒めものにして食べました。半斤でも食べ切れませんでした。満腹






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