■雲南 戛洒鎮(7回目)
その二







5日目 戛洒滞在4日目 湯鍋




この日は1と6の付く日ですので戛洒の市場と湯鍋店が出ます。T1さん一家は朝の5時頃から湯鍋専用店舗へ出かけて用意しています。私は朝食後、戛洒市場をうろうろ廻ってから湯鍋店を覗いてみますと今回も戛洒の派出所の人々が別の湯鍋店へやってきていました。

この湯鍋の店舗がある場所の近くの中国人向けの招待所に11月に参加させていただいた最初の結婚式の新婚さんが働いているという事で行ってみました。招待所といっても数階建ての建物の一部で階段の下に受け付けがあってここで大声で呼んでみましたらまだ眠そうな顔をして新郎が起きてきました。ここでやっと残っていた写真とVCDを渡す事が出来ました。
招待所は入口に貼ってある値段表をみますと大体 一人数元程度が宿泊料のようです。

戛洒の湯鍋店はテーブル、椅子、カマド、屋根がある簡単なものですが、この店舗が20ほど並んでいます。普段はかたずけられていて使用していません。
午前10時頃から午後2時頃まで湯鍋店にはお客さんが湯鍋を食べにやってきます。湯鍋は黒牛の内臓の煮込み料理でグロテスクですが茶碗に入ってくる時には細かく切られてやってきますのでそれほど違和感はありません。この内臓料理を地元の白酒で飲むのが戛洒を訪れる目的の一つです。午後2時頃になるとそろそろオシマイですので店舗をかたずけます。
それから残り物でT1さんの家族4人、近所のT1さんの従兄弟、と私とT2さんも呼んでやっと湯鍋です。

湯鍋も隣の漠沙や西双版納にもあるそうですがT1さんのお父さんの話ではここのが一番美味しいとの事ですが納得です。
夕食はT2さん宅です。




6日目 戛洒滞在5日目




朝 三老表飯店で朝食、その後 日本へのお土産の為にT2さんのお母さんの弟さんの奥さんの実家へ向かいます。11月にこの家を訪れて花腰タイ族の腰帯を1本貰ったのですが、これをもう少し分けてもらうつもりです。この村落は曼秀老寨の手前の村落で名前は不明です。10分ほど歩いてこの村を訪れると奥さんの双子のお姉さんが丁度いて 腰帯を選んで暮れました。
双子のお姉さんである事をすっかり私は忘れていてどうも話が合わないと変だと思ったのですが後で指摘されて思い出しました。
結局 腰帯は3本ほどいただいてきたのですが1本当たり2週間という事を聞いたのですが、お礼に100元渡しただけで、後で考えると2週間x3という事で どう考えても安すぎました。次回は何か持っていかないといけないようです。この腰帯ですが巾数センチメートルで長さが3,4メートルあり、各農家にある機織り機でパタンパタンと織っていきます。この腰帯を2,3本女性達は長いまま、腰に何重にも巻き付けて生活しています。
この腰帯を織る作業が今の花腰タイ族の日常で一番 花腰タイ族である事を象徴している作業だと思います。残念ながら20才ぐらいの小姐は機織りが出来ないようで将来はこの腰帯も消えていくのでしょう。戛洒の人民政府前の小さなお土産もの売場でもこの腰帯を売っているのですが なんとこれを切って分割して1メートルぐらいにしています。あんまりなのでここで買わず、11月に目にしていたこの家で分けてもらいました。

昼はT1,T2,T3さんと共に戛洒汽車維修中心の小飯店にて、T3さんは製紙工場の寮からやってきてくれました。今は寮に私が簡単に行けないので時間を作ってくれたよううです。この日 T3さんに戛洒で初めてご馳走になりました。

その後近くの郵便局へ行き、ここでも貯金通帳を作りました。こちらの通帳も薄いペラペラなものでしたが、6桁の暗唱番号が必要のようで、通帳と暗唱番号で降ろせるようです。又 全国で使えるとの事でした。

その後 ポケットベルの販売店へ行き、掛けた人の電話番号と何桁かの番号が表示出来るタイプを購入しました。1年間の使用権付きで240元でした。帰りにT2さんに置いてきました。掛けた人の電話番号が表示されるだけのもの、漢字を表示させるもの等が他にあるようです。
ポケットベルは所持している人に費用負担が無いので渡しても迷惑にはならないでしょう。携帯電話は山間部ですと電波が届かなかったりする上に、着信側に費用負担が発生しますのであまり田舎では迷惑がられるかもしれません。

この日 夕方、T3さんのご主人、T2さんと共に、T2さんのお母さんの実家に夕飯をご馳走になりに出かけました。11月に結婚された新郎・新娘が在宅のはずです。
家の周りは天秤棒を持った女性達が10人ほど歩いています。実家の隣の空き地にコンクリートブロックで家を建てていました。このブロックを天秤棒で運んでいたのが女性達で11月の結婚式で大半の人と顔見知りでした。
男性も10人ほどブロックを積んでいました。しかしどうみても男性の方が楽なように見えますが、その男女の仕事の違いが花腰タイ族の生活の中身の違いのように思えてなりません。普段の生活はどうも女性の方が働き者です。

ブロックを積んでいる男性の中には11月に結婚されたT2さんの叔父さんも入っています。まだ仕事は続きそうですので、お邪魔した我々と叔父さんのお父さんと共に、夕食の支度をする事になりました。新娘はまだ仕事で帰ってこないとの事。6時過ぎにやっと隣のブロック積みが終わり、叔父さんも戻り、夕食も始まりました。T3さんのご主人はこの家には初めて訪れたようで居心地が悪いようでした。彼は最初T1,T2さんから漢族と聞いていたのですが 新平県城近くが生家の彝族なのだそうです。11月の結婚式では彝族の民族衣装を親戚を含めて全く見かけませんでした。?

6人ほどでタイ族の料理をいただきましたが、全部男性が作ってくれたものです。タイ族は男性・女性共 ほぼ同じくらいに台所に立つようです。午後8時頃まで 白酒を飲みながら何を喋っていたのか覚えていません。

夜も更け 別れの挨拶をして戛洒の5日間が過ぎてしまいました。5日間ぐらいがやはり丁度良いようです。招待所へ








7日目 戛洒から昆明へ




昆明へ戻ります、前回と同じ時間の6時40分の新平行きのバスに乗り込み、昆明に向かいます。途中、腰街で10分ほど休憩して新平県城へ向かいますがこのバス 何故かとてもゆっくり走っていきます。車両は古くないようですが運転手がのんびり運転しているようです。やっと午前9時15分に新平県城へ、ここのバス站で丁度大形バスの公共バスが玉渓へ向けて出発する所で、これに飛び乗りました。

初めて大形バスで玉渓に向かいます。18元+1元(高速道路)バスは満員で私は最後部の左側です。隣は現地のカップルで、この女性 バスにとても弱いようで走りだすと男性に寄り掛かってぐったりしてます。前に座った男性はたまに窓を開けて、ツバを吐いています。なんだか悪い予感がします。
するとやはり前の男性のツバがこちらまで飛んできました。何度もありましたので窓を開けた途端私は 隣のカップルの方に体を急いで移動します。隣は体調不良の女性ですからなんだかまずい雰囲気です。こんな事にしている内に2時間ほどで玉渓のバス站に到着しました。
玉渓の裏通りで昼食後、玉渓客運中心站へ、そして12:30の高速バスで昆明へ。久しぶりに時間がありましたので玉渓のバス時刻表を撮影しました。
13:40昆明到着、63番バスで茶花賓館へ、茶花賓館で荷物を整理してますとベットの布団が薄いので寒いのではと思いよく見てみますと、電気敷布が入っていました。
茶花賓館からタクシーで雲南民族学院前まで出かけました。この近辺には電脳城でパソコンショップが数十軒あり、廻ってみましたが日本より幾分高いようです。中国のどこでもそうですがソフトウエアの販売はほとんどありません。

夕食はいつもの愛イ尼山庄へ、その後茶花賓館に戻りましたがクリスマスパーティがあったようですが1時間ほど茶花賓館内のインターネットを使ってみましたがとにかく遅くて40分程使用しましたが途中で諦めて引き上げて寝てしまいました。






8日目 日本へ






もう 最後の日で帰国です。昆明站近くの衣類の商店街へ行ってブラブラしてから近日公園の百貨店へ行き、鳳凰の一眼レフカメラDC828Nと28-70ミリのレンズを購入(1480元)とストロボを購入してしまいました。これで3台目です。今まで鳳凰のカメラは中央重点測光で多くの場合、露出不足になるケースが多く難しいと思っていたのですが このカメラの全面に MULTI-EXPと書かれていて、てっきり多分割測光だろうと思い購入しました。しかし取り説を見てから驚いたのですが、なんと多重露光の事でした。後悔先に立たずですが仕方がありません。
製品にはソフトケースが付いていないのですが肩掛けケースがついていました。中に入っていたパンフレットを見ると、鳳凰の製品にはレンズのマウントがミノルタのMDタイプとペンタックスのKタイプがあるようです。そしてやっと自動露出のEK100というタイプが発売されたようです。

その後 人民路と東風西路の交差点から少し北に行った所にある橋香園で過橋米線を食べに行きました。10元から60元までのものがありましたが40元のものを奮発しました。やってきたものは昆明で食べたものでは一番美味しかったのですがスープの温度が低くちょっと具が煮えるかどうか不安でした。やはり過橋米線は蒙自の美味しさが忘れられません。
この橋香園は市内の4ケ所に支店があり、北京路と東風東路の交差点近くにも見かけました。
食後 花鳥市場に寄ってから、預けた荷物を取りに茶花賓館に戻りました。そこから公共バスで空港へ

その後 無事日本に帰国しました。







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