■貴州 苗族の村と雲南戛洒へ その二






4日目 施洞から温泉村へ





貴州は予想どうり寒いのですが緯度が低いせいか本当に寒いわけではありません。部屋の全て木材で出来た窓(ガラスではなくて木製の板が使われていました)も少しだけ明けて寝ました。朝7時頃に目が覚めたのですが外は真っ暗です、トイレに行きたくても真っ暗ではトイレで何が起こるか判りません。多少明るくなる8時頃まで待ってトイレへ。苗族のトイレはトン族のトイレと違って池の上にはありません。普通の田舎のくみ取りトイレです。

8時を過ぎると家の人が起きてきます。朝は熊さん御両親が優先するようで、ご飯は御両親が箸をつけてからという事でした。この最初の朝食は日本の甘酒に似ているのですが甘くなく初めての味でした。やはり甘さが足らないので自分の好みで砂糖を入れるのだそうです。従って量は少しだけでした。朝食はこれで終わりかなと思っていると10時頃には本当の朝食でした。しかし何が出たのか失念してしまいました。

出発までの間、村の中をウロウロと1時間ほど歩き回り写真やビデオを撮っていますと熊さんの帰りの支度も終わり、家族揃って熊さんのアパートがある凱里へのお土産を持って清水河の渡し場までゾロゾロと歩き出しました。すると近所の人々も熊さんにお餅を持っていってもらおうとして家から餅を持ってきます。さすがに熊さんは有名人、村の恩人です。

村のお土産を沢山抱えた熊さんと私たちは子供達の渡し船に乗って清水河を渡り、サンタナを預けておいた対岸の村へ向かいます。岸辺では熊さんの家族や村のおばさん達が見送ってくれました。この次は熊さんに内緒で一人で来たいと思います。みなさんに大事されて忘れられません。

清水河の対岸の村は苗族と漢族の混住した村で、漢族が苗族の生活様式を取り入れて優しい人が多いそうです。戛洒もタイ族の街で混住している漢族も優しいので同じかもしれません。
この村にサンタナを預けてありましたのでここでお土産を積んで凱里へ戻る予定でしたが去年5月に訪れた温泉村で春節のお祭りがあるという事で行って見る事にしました。また下の弟さんの奥さんが革東鎮の実家に里帰りしているという事で弟さんが迎えに行くので同乗という事になりました。

車は施洞の街へ向かっていたのですが途中で熊さんの親戚のある村で寄り道という事になりこの親戚の家へ寄って行く事になりました。(熊さんは私にこの事の可否を聞いてきました。)
熊さんの親戚に行ってみますと面白いものがありました。日本の掘り炬燵の開放型で土間に四角く木製の囲いがあってその囲いの内側にはイロリがあります。この囲いの中か、囲いに座って暖を取るのだそうです。丁度 掘り炬燵のフトンを取ったようなスタイルです。今回これを2回ほど見かけました。

この村は丁度 施洞の姉妹飯のお祭りがある場所の清水河の対岸にあり こちらの村は施秉県で姉妹飯のお祭りがあるのですが観光客が来ないので是非この村も観光化したいという事でした。丁度、近所で春節の宴会が行われていて私たちも招かれて行ってみましたら数十人の人で盛り上がっていました。この宴会の家の前の田圃を潰して広場にして観光客を呼ぼうという事で、対岸の施洞から船でお客さんを運んでくるつもりのようです。熊さんが旅行社の人間という事はやはり有名のようで帰りにはお土産のお持ちが車に沢山積まれたのは書くまでもありません。
この村でも女性の苗族の歓迎の歌が沢山歌われていました。

人力のフェリーで施洞の街に渡り、そこから台江、革東鎮へ、
革東では去年の5月に出くわした結婚式のあった家に寄りましたが新婚さんは不在でおかあさんと弟さんがいました。郵便で送った結婚式のVCDはあまりよく見えなかったようで今回ひょっとしたらと思って持って来た同じVCDを再生してみましたら「こちらの方が良い」という事で3枚ほど追加で置いてきました。手作りのVCDは通常のCD−ROMに較べて傷などに弱くデータが記録されている面がちょっとした事で剥離して全く再生出来なくなってしまいます。今回VCDをお渡しした家では熊さんに頼んでVCDの扱いには暮れぐれも注意して下さいと言ってもらいました。

ここでも春節のお餅をいただきました。

温泉村に行きますと村の小学校の校庭でバスケットボールの試合が行われていました。お祭りといってもそれほど大きなものではないようです。村から温泉の設備のある所まで行ってみますと去年よりも建物が整備されていて廻りも綺麗になっていました。
ここでどういう訳か泊まる事になってしまいました。しかし宿泊したのはお祭りだというのに私たち3人だけでした。
夕食、朝食とも近くの飯店で、老板は黒龍江省の人でなかなかの味でした。






5日目 温泉から凱里へ




この日も温泉のお祭りという事で村の小学校へ行ってみましたが苗族の女性の踊りは午後4時過ぎからという事で時間がありません。近くをうろうろしてみたり、一般家庭を覗かせてもらって早々に引き上げました。去年5月に踊りをお願いしていた婦人部長にいろいろと口利きを熊さんがしてくれたのですがなんだか上手くいきませんでした。どうも私にはこの「温泉」は縁が無いようです。

温泉から革東鎮の昨日寄った家に再度寄ってみたのですがこの日も新婚さんは不在でした。帰り道、車内で熊さんと話がはずみいつのまにか凱里に戻っていました。凱里ではまだ時間がありましたので熊さんの黔東南CITSの事務室に行ってみました。

事務室のパソコンでこのホームページを見ていますと、いつもお邪魔しているホームページの作成者の関西の女性の方が突然この事務室を訪れ初めて合う事が出来ました。タイを廻って昆明、凱里と私より一足先にここにいらしていたようです。ここでやはりというか、この事務室に貼ってある凱里周辺の大きな地図に目が行き、時間があればコピーをしようとしたのですがあいにく春節でコピー屋さんがどこも休みで私も最終日に再度この事務室に行きましたがコピー出来ませんでしたのでビデオカメラで主要な所は撮影して来ました。ここの地図だけが雷山の白岩村が載っています。私たち外国人が手に出来る一番細かい地図のようです。

夕食は凱里賓館から5分ほどの中華料理のお店で塘酢排骨などの普通の中華料理でした。さすがに今まで鍋ばかりでしたのでそろそろ飽きてきてましたので美味しく感じられました。鍋自体も漢族のもたらしたものなのだそうですが・・・
久しぶりに凱里賓館でオフロに入ってぐっすり寝る事が出来ました。







6日目 再度鳥東村と翁義芦笙会





数日前 残念ながら「天上の村に正月が来た」の雷山県の鳥東村には道路が悪く行けませんでしたので再度行って見る事にしました。朝食後すぐに出発です。今回も凱里市街の北にある青果市場で梨と大きな竹の篭に入ったぽんかんをお土産に積んで行きました。

車が雷山に向かう途中の南花村の近くに行きますと苗族の正装をした小姐が歩いています。観光客向けの歓迎式があるようです。鳥東村へは時間がありますのでその小姐を乗せて南花村の広場へ行きました。すると広場では歓迎式が始まる事を知らせるラウドスピーカーの声と銅鼓が鳴らされていました。少しずつ民族衣装を着た小姐達も集まってきます。
ここの歓迎式は近くの郎徳での歓迎式よりも参加する人数が多いのですが頭には何故か銀の牛の角はありませんでした。牛の角の銀飾りは見てる分には良いのですが踊るのは大変のようでここでは「あるけれど着けない」という事でした。

ここの南花の民族衣装は青色と小豆色の色がベースで郎徳の衣装に較べて多少地味でした。
約1時間ほど踊りが続き、最後には村の人がほとんど参加する輪になってグルグルと広場を回って終わりになりました。これはどこでも同じようです。歓迎式が終わってもお土産売りがほとんどありませんのでこちらが探してしまいました。

歓迎式が終わり、雷山方向へ帰る苗族の小姐を車に乗せ雷山に向かいます。苗族の正装をつけたまま村の広場までやってくるのはそれだけでも大変です。

雷山に着くともうお昼です。昼食の場所を探したのですが小飯店がやっていません、まだ春節のようです。そこで仕方なく運転手の周さんの知り合いの女性の家に電話してごちそうになる事にしました。手ぶらでは行けませんので私が市場で買った梨を一箱がお土産です。

よく聞くと周さんの昔の彼女の家だそうでその彼女も今は2人のお子さんのお母さんで今でもおつき合いがあるそうです。ここでは突然訪れた3人もの来客に嫌な顔をせず迎えてくれました。ここのお宅はトン族の方ですが生活はもう漢族と同じでトン族としての特徴は生活の中からは感じられませんでした。

そして雷山県城から白岩村へ向かいましたがこの日は雪も消えていてなんとか行けそうです。白岩村に着きますと、金さんの一番上のお姉さんが雷山からやってきていました。弟さんを車に乗せ早速 鳥東村へ向かいます。道路は前回よりは良いようですがそれでも10回ほど運転手以外は降りてやっとの事で進む事が出来ました。
歩いたり乗ったりしながらでもなんとか1時間ほどで雷公山を越える道路と鳥東村の分かれ道に到着しました。ここまでくると人家がほとんどありませんが更に上に鳥東村があるという事でやはり天上の村なのかも知れません。
分かれ道から先は道路の状態も良く暫くして鳥東村の入口に到着しました。標高1300-1400メートルでこの上にはもう村は無いとの事。金さんが歩いてランイちゃんの家に案内してくれました。村はそれほど大きく無く2軒ほどの雑貨屋さんがあるだけです。ランイちゃんの家は傾斜地の途中にありかなり大きな家でした。
家にはランイちゃんと二人の弟、それにテレビに出ていたおばあさん、そして現在は出稼ぎを止めてお父さん、お母さんが家にいるそうです。今回はお父さんのみ合う事が出来ました。いろいろと聞いてみたい事もありましたがあまり立ち入った事を聞くのは一視聴者として憶するものがあり当たり障りの無い事を30分ほど聞いていました。おばあさんは現在この家にずっと滞在しているようです。
ランイちゃんはテレビの時と同じくとても愛くるしい顔だちでなんだか正面から見るのが恥ずかしく感じられました。
ランイちゃんは 楊蘭英というのが本名で苗族の名前は無いそうです。この日クラスでの成績が3番だったとかで喜んでいました。私たちは村の中を少し歩いて帰る事にし、車の所まで楊さん一家に来てもらい積んで来たお土産を持って帰ってもらう事にしました。車まで戻ると運転手の周さんがタイヤを交換していました。悪路でパンクしてしまったようで、手際よく交換していて、交換したタイヤに電動ポンプで空気も入れていました。

車からポンカンの箱を出して半分ほど持って行ってもらいましたら近所の人も一緒になって箱に手を入れてました。「何故 楊さんの家ばかり」と言っていたそうです。まあ仕方ありません。帰りに蘭英ちゃんに100元を渡しましたら熊さんがお父さんに「これでタバコを買ったりお酒を飲んだりしては駄目ですよ」と言ってくれました。こうした熊さんの小さな心配りは中国へ旅行していてとても嬉しいものです。

いつまでもこの家にいたいと思いましたが一視聴者が迷惑を掛けるだけですので心残りはあるのですが帰ります。帰りは悪路でも下りですから一度も車から降りる事なく白岩村まで帰る事が出来ました。途中 雷山から鳥東村までの公共汽車に出会いました。貴州で経験する事ですが、乗用車(車高の低い物)が一番悪路に弱く、公共汽車やジープは悪路にも強いという事を経験しています。ですから車をチャーターして通行出来なくても、そこから公共汽車を停めて乗ってしまえばかなりの確率で目的地に到着します。あまりお勧め出来る事ではありませんがどうしてもという事でしたら、そういう方法もあります。

白岩村に到着しますと、ここのお母さん達が盛り上がっていて夕食を誘われました、ここのお母さん達はお酒が強いという事でしたのだ飲めない運転手の周さんが可哀想なので凱里に戻る事にしました。車には雷山に住む上のお姉さんと幼児、それに荷物が多いので荷物持ちとして弟さんのお嫁さんが同乗して雷山まで降りていきました。雷山では丁度市が立っていて人混みの中を車で通過していきました。

凱里にはまだ明るい内に到着です。市内の新華書店に寄りますと貴州省の地図冊があり5冊ほど購入、この地図ですが他の分省地図と同程度の内容のものです。貴州省地図冊、中国地図出版社、61ページ12元。ただ雷山の白岩村は出ていませんがかなり使えます。その後歩いて携帯電話屋さんへ。ここでNOKIA3210という携帯電話を購入しました。1030元、電話番号が50元、プリペイド式でこの時は100元分購入。
この電話 神州行という名前で売られていて一切の登録が必要ありませんので旅行者が購入するには最適です。ただ着信時にも電話代が取られます。そしてこのプリペイドカードの有効期間が金額によって3ケ月から1年なのであまり訪中しないと使いきらない内に無効になってしまうかもしれません。

そろそろ夕方になり 春節のシーズンには凱里近在の苗族の村−翁義で芦笙会があるというので行って見る事にしました。春節の時期凱里周辺では2,3日ごとに場所を変えて芦笙会が行われています。詳細はこちらの「貴州お祭り情報」にありますので参考にして下さい。今回も黔東南CITSで新しいお祭りの日程表を貰ってきました。



凱里周辺地図
凱里周辺地図



翁義は凱里から西へ車で20分ぐらいの所で道路の脇の空き地で芦笙会が行われていました。それと苗族のお祭りでは必ずといって一緒にバスケットボールの試合が行われていました。
会場はそれほど広く無く、バスケットボールのコートの2面程度でしたので余裕が無く苗族の衣装を来た女性、芦笙を吹いている男性もそれを見ている人々と接触しながら踊っているような状態でした。参加しているグループは住んでいる村単位で輪になって踊っているようで数人から十数人が1つのグループでした。そしてそのグループが10ほどあり互いに競っているようで、最終日には何か賞品が出るようです。

参加している女性は家から出てくる時は普段着のようで会場に到着するとハレ着を着ます。そして銀飾りも着けますがここの翁義の銀飾りはあまり派手ではなく銀飾りもメッキのものが多いように感じられました。隣の麻江県から着た女性があまりにも可愛いのでその着替え中から何枚も写真に撮らせてもらいましたが別段嫌がりもせず撮影させていただきました。住所氏名も聞いてしまいましたので帰国してから郵便で写真を送りました。

2時間ほど見学して凱里市街に戻り、昨夜のレストランに行き夕食です。
その後インターネットカフェに熊さんと行きましたが日本語が表示出来ないのでMSから日本語フォントをダウンロードしてやっと日本語のページを見る事で出来るようになりました。30分ほど掛かりました。
そのインターネットカフェで熊さんの知り合いのX線技師に会い、3人でカラオケへ、最初のカラオケはもう音量がもの凄く頭が割れそうなのでもう1軒へ廻りました。こちらはまあまあの大音量(?)でなんとかガマン出来ます。いつも感じるのですが中国人は大音量と小音量のどちらでもOKのようです。私と熊さんは本当はカラオケが好きでは無いのですでX線技師が1曲歌ってオシマイにして歩いて凱里賓館に戻りました。







7日目 凱里 市内、石青村、鴨塘芦笙会




この日は午前中特に予定は無いので朝食を熊さんと刀削麺を食べ、公共汽車に乗って黔東南CITSへ向かいました。凱里の公共汽車は大型も小型も5角です。
CITSの手前で公共汽車を降り、熊さんの知り合いのAV店に寄ってビデオカメラのSケーブルを熊さんが購入、更にもう一軒寄って今度は私のビデオカメラをお店のテレビに映して私のビデオカメラの画質チェックを熊さんがしようとしたのですが、そのお店の一番大きなテレビですが壊れていてコントラストの調整が出来ません。
そんなテレビで画質の善し悪しを見てもらうのは嫌ですがどうも熊さん、壊れているといっても信用してくれません。テレビの画質の善し悪しは人によって基準が違うので仕方が無いのですがビデオカメラに入れたテストパターンを再生してテレビのここがこうおかしいと言っても信用してくれません。こちらも諦めるしかありません。

そこから歩いてCITSへ向かうのですが今度は途中でBB弾を使ったオモチャの小銃で風船を割る遊びがあったので挑戦、10発で1元、9発命中

やっと歩いてCITSへ。ここには試用期間の許さんというガイドの卵の女性がいました。漢族の女性で英語はOKですが日本語を現在勉強中という事で午後は一緒にという事になりました。
CITSには熊さんが撮影して作った苗族の絵はがきがあり、何冊か分けてもらいました。印刷は貴陽という事で色が変ではあるのですが熊さんの人柄が出た写真です。内陸部で綺麗な印刷はやはりまだ無理のようです。



3人で昼食ですが、一度凱里賓館に戻り近所の小飯店で鍋でした。3人で沢山頼んで50元
午後 運転手の周さんと合流してこの日の芦笙会の会場 鴨塘へ。
まだ蘆笙会が始まるまで時間がありましたので、去年行った舟渓・青曼村への道路に入りすぐに右側の細い道路に入りました。暫く行くと川沿いに石青村があります。それほど大きく無い村のようで、春節の蘆笙会が後日この石青村でもあるようです。
村の中を歩くと小さな広場がありました。苗族の村は必ず広場があり村の催事が行われるようです。熊さんが手書きの紙を取り出して村長に渡すように小姐に頼んでいます。見せてもらいましたら、英国人のグループが数日後この村にやってくるので「歓迎式」の依頼でした。なんの事はなくて仕事でやってきていたのでした。

村の中を歩いていますと蘆笙の音が聞こえてきます。男性2人が鴨塘の蘆笙会へ行くために練習をしているようです。それならという事で鴨塘へ歩き始めた男性を熊さんに呼び止めてもらい、蘆笙の演奏をビデオカメラに納める事が出来ました。
私たちはその後サンタナで鴨塘へ向かいます。同じ方向にトラクターの荷台にやはり鴨塘へ向かう人が沢山乗っていました。

鴨塘は昨日の翁義の手前になります。蘆笙会の場所は鴨塘の中学校の校庭でやはりバスケットの試合が隣で行われていて夕方になるにつれて村毎の踊りの輪がいくつも出来てきました。
こちらの中学の校庭は昨日の翁義の会場より面積が何倍もあり ゆったりとした空間で始まったのですが5時頃にはやはり人の多さで歩くのが大変になっていました。こちらの会場では雷山方面の民族衣装の特徴の大きな銀の角と青色がベースの民族衣装もかなりあり、麻江方面の小豆色の民族衣装もありました。村毎にその特徴がはっきりしているのかと思ったのですが一つの村でもその2種類のタイプの物があり、1軒1軒で異なるようです。

ここの会場でニコンのカメラとレンズを使っている人がいました。それも私が憧れているボディとレンズでしたので誉めましたら貴州省の民族研究所の方でした。それならばという事で熊さんに頼んで業務用カメラで少数民族の撮影をしたいのだがそちらで何とかならないかと聞いてもらいましたが、持ち込むのはなんとか許可が出るだろうが持って帰るのは困難という返事でした。個人の趣味なんですが機材が業務用という事で駄目なようです。

踊りの最高潮になる5時頃にはこちらも疲れてきましたし、夜行に乗る為の時間が迫ってきましたので引き上げる事にしました。凱里市内の騰龍飯店(ここは前回も来ましたが高い)で夕食後、凱里駅へ。
K79 18:47発の昆明行きです。昆明から凱里は春節初日で寝台はガラガラでしたがこの昆明行きは満席でした。今回も車内は熱く、下着になってすぐに寝てしまいました。

今回の凱里行も熊さんに大変お世話になりました。特に毎回の食事は一般家庭でお世話になり、苗族の普通の人との触れあいが持てたのは収穫でした。また前回のように時間があれば苗族の一般家庭にお邪魔させていただけるように配慮していただきました。熊さんと一緒だと多くの触れあいを持てます。やはり苗族の日本語ガイドである事はとても大きな能力だと思います。





◆ パソコンとCD−Rと音楽CD ◆

今回、熊さんが絵ハガキを作ったという事もあるのですが私が貴州に来て思うのは苗族やトン族の民族音楽を収録したカセットテープや音楽CDがほとんど無いのであれば嬉しいと思っていました。熊さん自身、ビデオカメラを持っていてその気になれば映像の収録も可能ですので 民族音楽を撮影・収録してパソコンのCD−Rで音楽CDを作成すれば、という話になりました。熊さんもかなり乗り気でパソコンを購入するそうです。

又 凱里の町中で凱里電視台の副業と思われるのですがVCD作成が行われています。撮影済みテープからの作成が100元台、撮影からですと数百元からという相場でした。
熊さんの話ではCD−Rが使えるパソコンは始からCD−Rが内蔵されているパソコンしか無いそうで、自分でCD−Rドライブを購入して取り付けるというケースは無いとの事でした。そしてそのCD−R内蔵パソコンは通常のパソコンの2倍程度の価格だそうです。日本ではCD−Rドライブが1000元程度ですというと「安いーーー」との事










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