■雲南省戛洒鎮 10回目 その二






4日目 水害の中、漠沙から戛洒へ





朝 目覚めると夜半に雨が少し降ったようで道路が濡れています。心配の中、招待所の庭に昨日の車が時間どうりにやってきました。今日はどうなるか判りませんので金銭的な約束はしていませんが やってきてくれました。
荷物を積んで戛洒方面へ出発です。魚塘までは昨日と同じ状態で新平−戛洒を結ぶ道路の三叉路にある曼蚌に向かっていくと道路上に何台もの車が停まったままでやはり不通という事でした。一旦 曼蚌の町中の様子を見に行きましたらテレビどうりの状態で小川の隣の家が流されて無くなっていてその小川の橋だった所がその時も大きな川となって水が流れていました。無くなってしまった橋の代わりに臨時に材木で盛んに橋作りが行われていますがまだ完成には時間が掛かりそうですの、その作りかけの橋を歩いて越えて行くしかありません。

車に戻り運転手が私のザックを担いでくれました。ビデオカメラを回しながら二人で作り掛けの橋を越え向こう側の路線バスが待っている?場所へ歩いていきます。
橋を越えて振り向くと山の上から大量の土砂が曼蚌の街を飲み込もうとしているのが見えます、また街の下も大量の土砂が美しかった棚田の上に多い被さっていました。暫く歩いて行ったのですが 路線バスが待っているのが普通なのですが車両が見えません

乗ってきた軽のワンボックスカーと同じような車が丁度やってきましたのでこれに乗せてもらう事にしました。漠沙からの運転手に日当を払っていませんでしたで奮発して100元も払ってしまいました。多すぎるのですが親切にしてくれ、ザック担いでくれる運転手へのお礼です。非常感謝
乗った軽のワンボックスカーはすぐに新平からの三叉路を過ぎて腰街へ向かいます。道路は全て舗装されていました。この後 道路は戛洒まで舗装されていて、この2ケ月間で戛洒を訪れる時に利用する全ての道路の舗装が終了していたのですが 残念ながら水害で道路はズタズタとなってしまっていました。舗装されたのは漠沙鎮から戛洒鎮−新平までの交差点まで、そしてその交差点から戛洒まで、そして玉元高速の大開門から新平県城までの一般道が完了していて 昆明−戛洒の全ての舗装が終わりました。こんなに早く舗装が完了するとは思いがけない事でした。休憩をしなければ昆明−戛洒は5時間で移動出来るものと思います。水害さえ無ければ便利になりました。

腰街に到着して他に乗っていた人も降りたのですが腰街から戛洒に向かって欲しいと頼みましたら運転手は今度は道路の人に声を掛けて腰街から戛洒方面に向かう人を集め始めました。暫くすると数人の人が乗り込んできて出発です。

やはり舗装道路になった道路を進んでいきますが 数Kmほど進んだ場所でもう道路が崩壊していて、ここでオシマイです。ここまで4元

ここの道路は跡形もなく土砂で破壊されていて 大きな石がゴロゴロしていました。その石をダイナマイトで破壊しようと工事をしている人が石に穴を開けてダイナマイトを詰めていました。その脇を歩いて通り過ぎ、向こう側に進みます。この時は道路工事をしている人が10人ほどいました。戛洒方面に向かう人は一人づつ歩いてこの場所を越えてやってきます。ここは工事現場を越えると路線バスが見えますから ここから先は道路が通行可となっているのが判ります。

数百メートルほど歩いて数軒の村落に到着し戛洒方面への路線バスの出発を待ちます。村落の人と片言で話していると ドーン という音がしてダイナマイトの発破がありました。戛洒方面から何台もの路線バスがやってきてお客を降ろしています。数台の路線バスが停まっていました。その中で一番早く出発する車両に乗って戛洒に向かいます。

乗った車両ですが今まで使われていない新しい車両です。やはり良い道路では良い車両が使われる傾向があるようです。昆明から鎮元までの寝台バスも当初 楚雄経由だったのですがこの戛洒近郊の舗装化が終了して新平経由に切り替わったのだと思います。

新しい車両の路線バスは順調に戛洒に向かっています。道路が舗装されこれから秋以降、戛洒行も快適になるでしょう。
しかし 雨期の雲南の道路事情では半日の所が2日掛かるようでなかなか大変なものがあります。やはり乾期の雲南の方が予定通りの日程で進行すると思います。しかし去年の瀘沽湖の轉山節も雲南の各地方で行われる彝族のたいまつ祭りも雨期の中行われますので来ないわけにもいきません。

路線バスは30分ほど稲穂が黄色く染まった棚田の間を抜けて戛洒鎮に到着しましたが戛洒の多くの道路で市(露店)が開かれていて大変な賑わいです。今は一と六の付く日の市は専用の市場で行われていて道路では催されないはずなので何かあったようです。
バスは戛洒の入口で停まりましたので私もそこで降ろしてもらいT2さんの家へ行ってみました。

T2さんの家の前でも露天が開いていて野菜が売られていました。T2さんも家族もいらして無事再会しました。T2さんのお兄さんの次男も2ケ月の間に歩くのが随分と自然となり一人で歩いていました。聞いてみますと戛洒の街から上方の哀牢山から雨で土砂が流れてくる危険性があって市場のある戛洒鎮の北側は避難が行われて市も路上で行われているそうです。しかしこの時は雲はありましたが天気は良く戛洒の暑い陽射しもあり実感としては感じませんでした。後でテレビで見ましたが この水害は6・2水害という名前が付き、3日間雨が降り続いた後の天気だったようです。

T2さんがまず宿の確保を心配してくれていつもは運政招待所なのですが 戛洒鎮の一番南にある南江飯店にしようという事で連れていってくれました。ここは空調・水洗トイレ・熱水・オフロがあり、毎日シーツを取り替えてくれるという事で今まで一番の部屋でした。交渉してくれて30元/日 好服務

昼ご飯はT2さんの家で作ってもらい家族で食べました。T1さんの所も挨拶に行かなくてはならないのですが 付き合っている公安がいるかもと思い行きにくいものがありました。
南江飯店で休憩後、T2さんの母親の実家近くの水田へ。やはりここでも稲刈りの最中でした。

夕食はT3さんの寮でという事になり、T2さんと共に6時頃出かけました。町の人に目立たぬよう裏道ばかり通っていきます。T3さんの寮は戛洒の製糖・製紙工場の中にあり私一人で行くと 公司の警備に怒られますので裏からこっそりです。
T3さんの家では製紙工場の同僚が工場内の食堂のドンブリ飯を持ってやってきていましたが気を利かせて各自家に帰っていきました。T3さんの彝族の御主人が料理を作ってくれていました。T3さんは現在妊娠5ケ月という事ですが毎日出勤しているそうです。ご主人は残念ながら製紙工場の仕事が無く3ケ月間家にいて、主婦をしているそうです。3月にT1さんT2さんと共にT3さんが徳宏に旅行に行かなかくて良かった事が判りホットしました。あの時期は妊婦にとって長期の旅行は良いことはありません。

この製紙工場の寮も水害の恐れがあり2晩、会社が休業し従業員は公司の大型バスで北隣の水塘の町で過ごしたそうです。
2月の時に近くの大賓榔園で撮影した踊りの練習風景のVCDと3月の徳宏の旅行のVCDをお土産に渡しました。5月20日頃 この2種類のVCDと旅行の100枚以上の写真を郵便で送っているのですがこの時もまだ到着しません。航空便で書留ですから帰国後 調査してもらう事になるでしょう。

夕食後 4人で戛洒の夜の町でビールを飲みに出かけました。

これから4日半の間 いつもの戛洒の毎日が続き、特に今回は水害の影響もあって遠出もせずに過ぎてしまいました。その為余り書くこともありません。

この日 やっと戛洒に着いてホッというのが実感です。







5日目 戛洒滞在二日目




戛洒2日目は特に何も無く戛洒の街を歩いて、南江飯店で休憩してました。昼御飯はT2さんのお母さん実家です。
T2さんに12時頃 行くように連絡されていましたので行ってみますと丁度 昨年結婚された新婚夫婦が帰宅された所で、田圃の泥が足に付いていました。昼御飯はT2さんのお爺さんとお婆さんが結局してくれました。1時間ほど掛かりそれから全員で昼食です。この辺りではお昼から3時頃までは暑いので休憩ですから、ゆっくりです。
2時近くに南江飯店へ。


夕飯はT1さん宅へ。なんだか行かないといけない雰囲気です。しかし大概 T1さんの男性友人が来ているようで 行きにくいものがあります。それでも一度は顔を出さないといけないようです。この友人は後から聞きましたら大賓榔園のタイ族の男性で現在 公安の助手なんだそうです。それで自宅よりこちらの家の方が仕事先の公安から近いのでよく訪れているようです。この時も夕飯時にやってきていました。
どうも「公安」が見ているように感じて落ちつきません







6日目 戛洒滞在三日目





今回は水害のせいもあって戛洒のみに滞在し、毎日 T2さんの所へお邪魔してご飯をいただいているのは本当に申し訳ないのでT2さんの家族全員と共に 戛洒のお気に入りの餐店へ夕飯を食べに行くことにしました。顔ぶれは私とT2さん、T2さんのお兄さん夫婦と二人の子供、T2さんの母親とそのご両親、亡くなったお父さんの弟、という具合で全員で10人でした。

安配を全てT2さんに頼んだのですが6菜しか頼まず 足らないのは明白です。仕方ありませんので厨房へ行って更に追加しました。結局丁度良い量となり、みなさん満足出来たと思います。それでも帰りには丁度100元也 大満足でした。

南江飯店の客室にて魔法瓶を机から落として壊してしまいました。以後開水無し






7日目 戛洒滞在四日目





この日は今回 戛洒にやってきた日が丁度、戛洒街の日(市の日)だったのですがそれから3日目に辺りこの日も牛の市が立つ日です。T2さんの家の裏がこの市の場所です。そしてその市の脇にT2さんのお母さんの新婚の弟さんが湯鍋と米線のお店を出していました。
戛洒10回目にして初めてこの事を知りました。この新婚の弟さん夫婦が市の日に市にやってきた人達に米線と湯鍋を出していました。前回それを知らず 家族で同じ場所でご飯をいただいていました。今回も朝、米線を一緒にいただきました。

午前10時頃にはT2さんの家ではこの日と次の日に近所の稲刈りの手伝いでお姉さんとT2さんが手伝いに出るそうです。この近所というのがよく判らないのですが少し距離のあるT1さんの隣の家の奥さんも入っていたりして、単に近所というだけではないようですが、はっきり判りません。

行ってみたいと希望していたのですが 道が悪いからという事だったのですがお昼近くに行ってみましたらT2さんの家から400メートルぐらいの距離ですぐ場所も判りました。女性が10人ほどで鎌で稲刈り、男性が2,3人で脱穀の木箱に稲穂を打ちつけていました。T2さんは一人で木箱で脱穀した後の稲藁を縛って立てるという作業をしていました。br> 私も同じ事をしてみましたがなかなか手早く出来ません。練習が必要なようです。1時間ほどうろうろしてから南江飯店へ。
戛洒の良さはこうした田舎にしては快適な招待所と純農村の場所が数百メートルという近さで同居しており、体力の無い私でも雲南の田舎での体験を経験出来ると思います。
余所の場所はあまり知りませんがこんなに快適な場所はなかなか無いのではと思います。

こういった農作業の互助の制度で手伝いに行くのをパンマンというのだそうです。この稲刈り自体はダークーツというそうです。

このパンマンは1日掛かるのだそうですが、この時はかなりのピッチで作業をしたようで午後1時頃まで続けて午前中で終わらせてしまい、午後は休憩という事で私も午後はずっとT2さんの家の前にいました。

このT2さんの家の前の道路は車道が巾10メートルぐらいでその両側に巾数メートルの歩道があります。道路沿いの家はこの歩道を自分の家の庭のように使っていてここに出て涼んでいたりします。そしてここには街路樹として背の低いシュロの木とマンゴー樹が植えてあり、私は今までこの木がマンゴー樹である事を知りませんでした。
今回この木にマンゴーが成って垂れ下がっているのを見て初めてマンゴー樹である事をしりました。私自身マンゴーを食べた事が無くて今回、戛洒の路上で黄色く熟れたマンゴーを初めて食べる事が出来ました。

しかし歩道のマンゴーは誰の物なのでしょう。マンゴーは木に成っている時はまだ緑色ですが、これを収穫して家に置いておくと段々 黄色く食べ頃になります。今回はマンゴーが家の中に立てかけてあるのを何軒もの農家で見る事が出来ました。





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