■西双版納へ 6日間
1995年11月 その2






●3日目 橄欖バ 葫盧島熱帯植物園






西双版納 景洪の朝



早起きして景洪の町へ散歩。1時間ほどしてから版納賓館で朝食


瀾滄江の川下りの船と ガイドの胡さん



瀾滄江(メコン側)の景洪の船着き場から橄欖バ(バは孟+力)(かんらんば)へ川下りです。船は2,30人乗りでかなり老朽化していて多少心配でしたが 濁った瀾滄江を1時間半ほどで橄欖バに到着。風邪をひきそうなのか寒気が襲ってきたので雨合羽まで着込んでしまいました。川の両側には余り人家がなく、竹や籔が広がっていました。


川下り





川下り





橄欖バ(カンランバー)の渡し船 





橄欖バ 下船



橄欖バの町は大きな建物は無く、丁度開かれていた自由市場が盛大に行われていました。
特に南国らしく乾燥した果物が豊富にあって北京などの数分の一の値段で売られていました。


自由市場





自由市場





乾燥果物



橄欖バから数Km離れたタイ族の村へ。中国のパック旅行では特に質問しないとその村の名前などはガイドは教えてくれませんし、大概の参加者も聞きません。
地図にも小さな村の名前は載っていません、もう2度と同じ場所には行けないのかもしれません。


タイ族の仏塔





タイ族の村の広場





村長宅にて



村長宅では村長の妹という人が出迎えてくれて お茶やオコワを出して下さったのですが、最後は結局、銀の飾りや刺繍がいくらという話になってしまって、折角のシーサンパンナの雰囲気が・・・


広場の仏塔





モンラ 昼食



更に東に20Kmほどでモンラです。ここは未解放地域で特にツアーとしてOKを貰っているとの事です。(しかし地球の歩き方には解放地域なっています)
ここの葫盧島の植物園の見学の前に昼食です。ここの食堂は入口のドアも無く道路を見ながら食事です。外観と味は関係が無いのが中国ですがここは相関がありました。写ってはいませんが食堂の隣が小さな書店で モンラ県の地図が売られていました。このモンラは雲南省の最南部でラオスと隣接していた外国人一般観光客は好き勝手に入れないのかもしれません。???
昼食後 1Kmほど歩いて葫盧島熱帯植物園の入口へ。釣り橋を渡って植物園へこの葫盧島全体が植物園で、人工的な感じではなくて 島の中の自然そのものが植物園という雰囲気です。特に目を引いたのは沢山の竹です。黄色の竹が1ケ所に集中して生えており、それが塊となって点在しています。



モンラ 葫盧島熱帯植物園 入口





植物園入口の橋





植物園内





植物園の椰子




景洪に帰る途中 航空用の電波標識の建物があり、西双版納は昆明とタイの航空路である事を思い出しました。
景洪に戻って版納賓館で夕食。その後 町に出て見ると道路で踊っているグループがありました。どうも中国国内から来たツアー客のようで地元の人ではなさそう。


景洪 夜の宴?



その後、他の参加者2人とリンタクで遊びに行く事にし、版納賓館前で2台のリンタクを拾い、ウロウロしてみる事にしました。景洪の町自体はあまり広くないようであまり遊びに行くような場所も多くはないようです。2台のリンタク共、20才台の女性が引いていて 中国でも夜、女性がこういった仕事をしている地方は珍しいのではないかと思います。
改革解放で犯罪も増加しているようですが、景洪はまだ大丈夫なのでしょう。そのうち、リンタクの小姐とも仲良くなって(?)一緒にご飯を食べる事にしました。こちらは男3人、あっちは女性2人で何かあるとまずいのであえて、街角の小さな食堂に入って50元をそのリンタクの女性に渡して(日本円で700円也)足りました。


リンタクの小姐 ご飯を食べに行きました。





ご飯を食べに入った川利飯店



いっしょに行ったY氏は写真好きでこの時、リンタクの小姐に住所など聞いておりました。後で聞いた所によると別れ際 200元もチップで上げてしまったのだそうです。


川利飯店のアンチャン







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