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その3





●5日目 凱里から榕江へ





凱里賓館で朝食、その後 小雨の中を苗族の村、朗徳に向かいます。この朗徳はどうしても地図で場所が判りませんでしたが、凱里の町から南東の方向で 榕江へ向かう道沿いにあるようです。このコースはマイクロバスの運転手には初めてのコースのようで道に迷い倍近い時間をかけて朗徳の村に到着しました。村は傾斜地にあり、低い所に川が流れ、そこに風雨橋が掛かっています。マイクロバスから降りて暫く待つと花火の音がして 女性達ちが自家酒を瓶に入れて持ってきます。この酒を最低13回は飲まないと村の中に入れてくれないのだそうです。準備が出来ると私たちは一列になってこの酒を手を使わずに次々に飲んで上の方へ上がっています。(手を使うと飲兵衛という事で更に飲まされます)男性も一列になって 蘆笙の演奏で歓迎してくれます。



朗徳





朗徳 風雨橋





手を使ってはいけません





かわいい小姐





蘆笙の出迎え





牛角の杯




やっと自家酒攻撃が終わり、村の人家の間を通って、広場に向かいます。
広場は石畳になっていて中心に苗族−稲作の象徴である 鳥竿(ちょうかん)が立っていました。ただ残念ながら鳥竿の先端に鳥の模型はありませんでした。



鳥竿のある広場




私は三脚とビデオカメラを石段の中断にセットして「お祭り」の始まるのを待ちます。R氏が村長にビデオ撮影のOKを貰っていただき大手を振っての撮影です。「お祭り」の中身は銅鼓と蘆笙を伴奏にして女性が銀の飾りで着飾り、踊るというものです。蘆笙も小さいものから長さ5メートルのものまであり、又 低音だけの音が出る直径15cmぐらいの 蘆笙もありました。
男性はほとんど黒の服装、女性は黒を基本にして明るいアクセントの部分があり、更に大量の銀細工を身にまとって踊ります。一番最後には村民のほとんどが円周上に歩きながら回ります。



中学生のように見えるのですが





お酒





太鼓の踊り
湖南省の土家族のに似ていました





子供達





蘆笙 長い物は5mも





銅鼓 苗族にもありました





フィナーレ
最初は小人数





フィナーレ





フィナーレ





フィナーレ





フィナーレ
最後は全員参加




一連の出し物が終わりますとお決まりのお土産物の販売です。ここは観光村らしく統制がきいていて村民の売り子が広場を円周上に綺麗に並んで私たちを待つというスタイルです。なかなかこういった整然とした売り子の姿を中国で見る事は出来ません。
私は 布製の首掛けの小物入れを購入、以後これにビデオカメラのテープと電池カメラ、GPSのレシーバー等を入れ大変重宝しました。その後 参加した村民に番号札のようなものが配られ、後で参加の手間賃が支給されるのではないかという事でした。



村長の陳さんと(右)
貴陽のガイドの陶さん(左)




この「お祭り」は観光用で、今回も現地旅行社が開催費用として600元を村に払っていました。丁度 私のビデオカメラの脇で受け渡しをしていましたので見えてしまいました。村民のほとんどが参加して1時間半ぐらいですからそんなものなのでしょう。



整然としたお土産販売





鳥竿の先端は何もありませんでした





朗徳の村から見た風雨橋と
乗ってきたマイクロバス




朗徳を後にして 以後砂利道を 榕江に向かいます。雨もかなり降ってきて標高2000メートルの山道を登っていきます。視界も20メートルぐらいとなり、心細い雷山の山道を70Kmほど進むと永楽鎮に下ってきます。



雷山 こんな所が沢山




ここで 遅い昼食です。道路と川に挟まれた食堂で、窓からは川と対岸の人家が見え、NHKで放送された「三峡の家」の主人公の食堂と同じような雰囲気の上に働いているのが三人の女性です。町の普通の食堂ですから箸や食器を拭いてこちらもいろいろと忙しく準備をします。ここの食堂の女性はなかなかの働き者で我々のわがままな要求を素直に聞いてくれ、「麺が食べたい」というと通りの反対側の雑貨屋から仕入れてくれました。また そろそろ肉類より野菜が欲しいという事で 菜の花が大量に出てきて肉類の終わった鍋に菜の花が沢山入れられ、それをご飯に掛けて食べてしまいました。
菜の花の美味しい事!。 ここで私は食堂の椅子を通りに出してその通りで食べていました。好吃!
食後 通りに出ていろいろ見ていましたら みかんが1.3元/斤でしたので仕入れました。又 瀑布ビールが1元/本でした。



永楽鎮の昼食
この後 鍋には菜の花が





永楽鎮−>榕江




更にマイクロバスは70Km先の 榕江の町に向かいます。雨の中、道路工事もあり何度か 歩きましたがなんとか午後7時 榕江の町に到着。宿泊は榕江県政府招待所で 私には初めての招待所でわくわくして部屋に入ってみますと白熱電球が一つ、TVがありますが映りません、窓はガラスが割れたまま、暖冷房無し、布団は1枚、いつ洗ったか判らないシーツ、トイレとシャワーは共同、建物の階段部分は始から外と開放状態、廊下は水浸し、という状態です。
まあ予想していたより随分と良くトイレは水洗で綺麗ですし、シャワーもお湯が出て女性は使ったそうです。ただ 旅行参加者の中に水洗トイレの水の流し方がわからなくて「物」をそのままにしている人がいて困りました。配管のコックをひねるのは判らなかったようです。
招待所内の餐庁で夕食後(好吃)、まだ小雨の降る町に出てみますとリンタクがかなり走っていましたが、屋台の方は雨のせいか少なく寂しい町 と言う印象でした。近所の雑貨屋で単3電池とカボチャの干し物を購入して就寝。



榕江県招待所 客室





榕江県招待所 共同トイレ





榕江県招待所 厨房






●6日目 榕江から黎平へ






榕江自由市場 まだちょっと早いかも





榕江 自由市場
小学生の朝食





招待所の朝食まで時間があり、R氏と自由市場に出かけました。朝の 榕江は昨夜の雰囲気と随分と変わり 活気に満ち自由市場の人出もかなりありました。自由市場の中の民家で葬式があり 自由市場の通りの真ん中に棺桶が置いてありました。スオーナの音が聞こえて最初、何かのお祭りかと思い、ビデオカメラを回してから葬式のある事に気がつき、ばつの悪いを思いしてしまいました。



榕江自由市場 葬式でした(棺桶)




ティシュ、黒砂糖、クコの実、漬け物、いろいろと買い込みましたが 価格が今までにない安さで、町の中には観光客価格は存在しないようです。また 榕江の地図は招待所に貼ってあった「榕江県地図」しかないようで手に入れられませんでした。残念
9時に招待所を出発し 北方のトン族の中宝村に向かいます。川沿いの村で村民も気軽に応対してくれ、家の中にも入れてくれます。女性の一人が日常使っている陶器の中から気に入ったものを見つけ10元で譲ってもらっていました。



中宝村





中宝村 民家
茶碗を譲っていただいた人が




骨董好きのR氏曰く、掘り出し物との事、それでも家の人は喜んでいました。30分ほど見学して車まで戻りますと、村のお偉いさんが「観光料」の請求を陶剣さんにしていましたが、もう開放地区になったのだから払わないという事でパス。

少し榕江の町に戻った所にある 車寨鼓楼を見学、ここは鼓楼の上まで登る事が出来、鼓楼の上から眺める菜の花が咲く川沿いの景色が印象的です。



車寨鼓楼





車寨鼓楼より車寨村を




榕江の町に戻り40分ほど自由時間があり、リンタクで町の中を回ってもらいました。五元 その後自由市場へ ズボン10元でした。



リンタクで榕江市街を一周





車窓からの菜の花




再度 招待所で昼食、その後 100Km東北にある黎平に向かいます。
天気も良くこの辺りは菜の花も7部咲きで、丁度 大形バスがやっと通れる砂利道をトラブルもなくマイクロバスで進んでいきました。この辺りは段々と苗族の村からトン族が多い地域になり、村ごとに風雨橋と鼓楼があるという話で期待が高まります。黎平県の九潮郷では丁度 市がありバスを降りて見学。その先の茅貢の近辺では鼓楼と風雨橋が村単位であり、その中で茅貢花橋という風雨橋と茅貢の過ぎた辺りの 高進風雨橋、同鼓楼を見学しました。特にこの高進は舞台もある立派なもので 他の鼓楼や風雨橋の中には朽ち掛かっているように見受けられるものもあり、今後こういったものが修復されるのかは疑問に思いました。



黎平県九潮郷 市の日





茅貢花橋





高進鼓楼
ここは花橋、鼓楼、舞台の3点セット





道路沿いの村の多くには鼓楼が








黎平に近づくと何故か鼓楼も風雨橋もなくなり、トン族の建物だけが目立ちます。
道路も黎平に近づくとだんだんと悪くなり、荷物車がスタックしてしまいましたが午後6時に黎平に到着、車のドライバーは黎平は始てのようで やっとの事で宿の鼓楼坡賓館に到着。天気が良いわりには なんだか暗い町だなー という印象です。



黎平 鼓楼坡賓館




夕食前にリンタクに乗って町の中心へ。ここで 黎平の地図とトン族の音楽の入ったカセットテープを町の店を回って探していたのですがなかなかありませんその内、公安のサイドカーがやってきて 手招きをしています。ドキドキしながら言ってみますと 中国語でなにやら言っているのですが私の語学力ではわかりません、仕方がありませんので、今日榕江から来て明日 三江に行く、賓館に泊まっていると言っても判って貰えません。パスポートを出して日本人と判ったようですがそれでも駄目、「包干旅行」と言いましたらやっと開放してくれました。まだ 開放地区になって間もないので まだ外国人がうろうろしていると目立つようです。



黎平の町の暗さ




鼓楼坡賓館で夕食。ここの部屋は昨日の招待所より悪く、せんべい布団をかぶって寝てしまいました。



鼓楼坡賓館 招待所より酷かった







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