貴州  貴陽 黄果樹 凱里 三江 柳州 南寧
その4





●7日目 黎平から三江へ






賓館前の道路で




鼓楼坡賓館にて朝食、朝食前に町へ出てみたのですが時間がなくて学校へ通う生徒とすれ違うぐらいです。黎平からは三江までの間は 今回の少数民族の一番の見所の肇興と地坪があります。



昨夜の暗い町も朝になれば




NASAの地図でもこのコースが一番の峠越えで、小雨も降り 心配しながらの出発となりました。地図では3つの峠を越えて肇興に着くのですが やはり黎平から南10Kmの所の峠でもう荷物車が泥にタイヤを取られてガイドが押す事になりました。しかしこの次の峠はもっと急ならしく、泣く泣く この肇興、地坪行きは断念という事になりました。



黎平東南10Km
ここで引き返す!




もっとハード対応の車であればぬかるんだ泥道も上がれるのでしょうが、普通の道路用の車では駄目でした。その断念した私たちの脇を車高の高い路線バスがかなりの速度で上がっていきます。荷物さえ無ければ あれに乗っていくのですが・・・・・・・・
結局は「中国旅行」というものを催行しているユーラシア旅行社も、中国側旅行社も全ていい加減に運営しているという事でしょう。それが少しの雨で坂道を上がれない車両を用意してしまう体質として出ています。全ての車両が通れないなら諦めますが納得できません。



靖州へ 材木運搬車横転




とにかく残念でなりません。マイクロバスと荷物車は一旦 黎平に戻り、東北の方角へ向かいます。湖南省の錦州へ向けて進む事になりました。こちらの道は小雨でもあまりぬかるんでいず 午後3時頃 錦州着、湖南省は張家界の記憶が忘れられずに残っていて道路脇の街並みや農家の佇まいを見るとなんとなく湖南省に来たという気がしてきます。

昼食は靖州市街の道路脇のビルのガレージを間借りしたような変な雰囲気の食堂でここも寄席鍋? か ごった煮か判らない鍋物でした。あまりにも口に合いませんので非常用の振り掛けを出してしのぎました。



靖州市 昼食
1階の手前の角





昼食 これだけ!




陽もかなり下がった4時半ごろ広西チワン族自治区の三江に向けて出発。ところが40Kmぐらい走って所でマイクロバスがパンクです。乗客を全て降ろしてパンク修理に車は走り去ってしまいました。日も陰り、風も強い中をうろうろしていましたが、私と、現地ガイドの陶さんで地元の雑貨屋で買い物をしたついでに いろり で暖をとって車の帰りを待ちました。ここの雑貨屋の人達が1才ぐらいの子供をあやしているのですが もう日本では見られない他人との濃密な関係があるようで、子供と親ではない大人が強い愛情で 結ばれているように見えました。漢民族の自己主張の強い大人を見ているとこの子供が大きくなるとああなるのかとも思いましたが 子供はかわいいものです。



ただいまパンク中 シュー





パンク修理待ち 川





パンク修理中 対岸の線路




パンク修理が終わった車が帰って来た頃にはもう暗くなっていてそこから広西チワン族自治区の南へ向かいます。やっと10時頃 三江を流れる川に出会いましたがこの川沿いの道路が 大変なぬかるみで道路のタイヤ痕がある場所とその両側の泥との高さの差が50cmぐらいあり 結局 我々全員バスからおりて歩いて進む事になりました。それでも そんな大変な所は100メートルほどしかなく11時前には三江の町に到着、遅いので三江の提陽橋賓館に入る前に 町の普通の食堂に入り 遅い夕食です。



三江へ 泥道を歩く





三江 遅い夕食




この食堂も突然のお客でお店も大変でしたが働いている女性人も頑張ったようで鶏二匹が目の前でさばかられてしまいました。しかしこの光景を見た同行の年配者の何人かは嫌がって提陽橋賓館に行ってしまいました。(そんな事で中国にくるというのは ちよっと違うのではないかと思うのですが)



新鮮な鶏!




ここも昼間と同じであるものを鍋に入れてぐつぐつと煮込んで出来上がりです。元気なわれわれは煮込みが足らなくてもパクパクやっていましたが誰もお腹を壊す人が今回は出ませんでした。ここの働いている女性の中で とても可愛い女性がいて 写真を2枚ほど撮られていただきました。

午後12時近くにホテルに入りましたが ここもオフロが無く結局 3日も風呂に入りませんでした。




●8日目 三江から柳州へ






提陽橋賓館





提陽橋賓館料金表




午前中は昨日行けなかった 提陽橋の見学です。マイクロバスは荷物車の葛さんを乗せて40分ほどで提陽の村へ到着、中国一の大きさという事でしたが大きさよりも良く手入れされていて綺麗でした。この橋を渡っていくと村の広場がありやはり馬安鼓楼が立っていました。そのあと 村の中を1Kmほど歩きましたが 風雨橋の数は10ぐらいはあったのではないかと思います。村中、風雨橋だらけです。提陽橋よりもこちらも方が驚きでした。



提陽橋





提陽橋から見える水車





提陽橋中央の屋根裏





提陽 馬安鼓楼





筑後数十年経つ風雨橋





懐かしいスローガン





井戸




提陽ではもっとゆっくりして行きたがったのですが時間もなく記念写真を撮って三江の町へ、荷物車の葛さんとは判らない私の中国語でやりとりをしていました。彼はここは2度目だそうです。

三江の町で再度 提陽橋賓館で昼食、その後、柳州へ。道路は舗装されていて久しぶりに60Kmぐらいのスピードで南下していきます。数十Km南下した丹州で道路が川で途切れていて 全てフェリーで渡河します。ここでも車高の低い 我々の乗ってきたマイクロバスはフェリーを3回も接岸させなおしてやっと乗船出来ました。バンパーがこれすて曲がってしまいました。
このフェリーはNASAの地図にも「フェリー」としっかり出ています。



丹州 フェリー
3度目にやっと乗船





桂林に似た景色




三江からの道路沿いの景色は桂林に近いせいか桂林の山々とそっくりで楽しめました。道路の両側には30メートルあろうかと思われる背の高い木が植えられていてその上の方に申し訳程度に葉が茂っています。
川沿いに融水を過ぎて柳州に6時頃到着、久しぶりに大都市の宿泊で、宿泊した柳州飯店もなかなかの設備で快適でした。何か別世界です。



柳州 夕食(澤豊大酒店)




柳州は広西チワン族自治区では2番目の大きさの都市で、夕食後は町に出て 地図とカセットテープを購入してリンタクでホテルへ。しかし少数民族のカセットテープがどこにもありませんでした。仕方がありませんので 何故か私が中学生の頃 流行っていた「好色狼子軍」、「白毛女」、交響曲「黄河」と懐かしいテープを購入。

久しぶりにゆっくり寝る事が出来ました。




ページ先頭へ

目次に戻る

最初のページに戻る

前のページに戻る

続きを見る