■昆明 建水 昆明 西双版納 その1





●1日目 昆明へ





羽田空港より7:30の関空行きに乗り関空へ。添乗員はMさんという私より少し若い女性で元気で中国語の出来る方でした。容姿は雲南の景頗族の女性になんとなく似ていました。

関空からJASで広州へ向かいそこで昆明行きに乗り換えるのですがチケットを持ってきてくれた人が飛行場のシステムに慣れていない人で両替の場所を知らず、国内線と国際線の間をうろうろしたり、昆明便までの3時間ほどを国内線の建物の1階のフロアで荷物を抱えたまま待つという事になりました。去年の12月の麗江・大理・瑞麗の時はこの待ち時間に広州観光が付いたのですがこの差は一体なんなのでしょうか? 日程表には何も書かれていませんのでこの待ち時間が普通なのかもしれませんが・・・配慮はありません。建物内とはいえ暑かったのを思い出します。

その後 国内線で昆明行きに搭乗ですが、ここのスーツケースの安全チェックは厳しいと聞いていましたがやはり一部の人が不審物の疑いを掛けられスーツケースを開けさせられそうになりましたがすんでのところでパス。3月に私の家族もこの光景を目撃しており、実際に開けさせられていたそうです。中国国内でも有数の厳しさです。その為かこの国内線のカウンターはどこも長蛇の列です。

無事、広州から雲南航空で昆明へ、いつもの金龍飯店です。一室個人では600元との事ですがそこまでのサービスはありません。
ここで今回の通しの女性ガイドの張さんと合流、夜は街へ出て、念願の周冰倩のカセットを購入。




●2日目 石林へ





ホテルから石林へ出発する時にスーツケースを人間と共に1台のマイクロバスで運ぶ事が判明し参加者からクレームの声が上がりました。昨日の広州空港の出来事といい「どこかで誰かが余計に儲けているとの声もしきり。4日間この状態が続き、日本の添乗員と参加者の一人が補助席に座る事になりました。



昆河鉄道の貨物列車





大石林と小石林の間



昆明より石林へ向います。以前に石林に来た時よりも石林までの道路が有料道路にふさわしい道路となりその分 早く石林へ到着するかと思ったのですが交通量が増え3時間ほど掛かり以前と変わりはありませんでした。12時に石林に到着。大石林近くのレストランで昼食。その後 宿泊する雲林賓館にスーツケースだけ預けて石林の外周道路 環林公路をマイクロバスのまま大石林の最南端へ移動しました。ここの景色は大石林の景色に比べ環林公路の外側の外石林と呼ばれる景観は素晴らしく 林立する岩石とその岩石の間の緑の草地のバランスが大石林の岩石だけの景観に比べより日本人に合うのではないでしょうか? その外石林の歩道を現地ガイドの張さんはどんどんと更に進んでいき結局2時間ほど外石林の散策をしてしまいました。外石林には草地があるので牛が放されていて丁度 私たちと牛の群が交差したり、あるいは山羊の群とぶつかったりで、外石林は現地の農村の農地でもあるようです。



外石林





外石林と牛



その後、休憩し小石林、大石林と巡ったのですが私には3度目でちょっと食傷気味でした。日程表にはあと、乃古石林があるのてすが果たして行くのでしょうか?
6時頃徒歩で雲林賓館に戻りました。(やはり乃古石林は行かないようです。説明もありません)



大石林入口と望峰亭





雲林賓館夕景



夕食は旧館で、8時より新館でサニ族の踊りがあるという事で90分ほどありました。期待していたイ族のたいまつ祭りの曲も最初にあったのですが音響設備のエコーが大きくてメロディーが良くわからないという状態でした。残念。



雲林賓館にて






●3日目 建水へ





朝食の前にサニ族の部落に行ってみたのですがついてくるサニ族のお土産売りの女性のしつこさにはまいります。再度 旧館で朝食です。建水へ向かうわけでが普通には開遠市を回っていくと思って期待していたのですが何故か車は一端昆明に戻り玉渓、通海を通過して建水へ向かうそうです。開遠市回りは増水の為、道路に不安があるとかないとか。
昆明から玉渓までの昆玉高速はまだ工事中の箇所もありましたが快適に走れ、右手には慎池(昆明湖)を見ながら玉渓に12時に到着、八副閣というレストランに往復とも昼食となりました。この玉渓は雲南でも最大の煙草の工場があり 他の地域との摩擦を避ける為に生産調整を行っているそうです。1時半に出発、暫くして西双版納へ向かう道路と別れ、通海への道路に入ります。平坦だった道路も丘陵地域を走るようになります。通海に近くなるとこれが無料道路かと疑らせる 4車線の快適な道路となりマイクロバスは快調に走ります。通海のパイパスに沿ってまるでお城のようなマーケットを横目に見ながら建水に向かいます。車窓は三月の広西の柳州へ向かう道路ににた景色となり、明るい開放的な景色が続きます。
建水の名産はザクロという事で建水の手前の南庄という所で休憩しザクロの畑を見ながら沢山仕入れました。



南庄のざくろ




玉渓より4時間で建水に到着、街のシンボルの朝陽楼に向かいますが工事中で遠望のみでした。ホテルは建水で一番の臨安賓館です。夕食後、希望者のみ添乗員と共に街に出てみました。かなりの人出がありますが街の雰囲気もそれほど悪くないようです。朝陽楼近くまであるくと偶然 朱家花園という清代の富豪の家が公開されている場所に出て、せっかくだからという事で夜の見学となりました。内部はかなりの広さで昼間でしたらもっと良かったのではと思いました。輪タクを拾って臨安賓館へ。



建水 朝陽楼






●4日目 建水郊外





朝食前に輪タクにて朝陽北路の龍井農貿市場へ。この市場には以前から何だろうと思っていた草の根がありましたが、ここでやっと どくだみの根である事がわかりました。いったいどうやって食べるのでしょうか?。 再度 輪タクに乗ってホテルへ戻ります。朝食は巨大なオワンが出てきて、過橋米線です。本来肉類等は生のままテーブルに出てきた自分で煮立ったスープの中に入れるのですが お腹をこわさないように予めスープの中に入れてありました。後、自分で野菜を入れて食べました。初めての過橋米線でしたがそのスープの美味しさは今まで経験した麺類の美味しさを越えていました。鶏のスープだそうです。それでもあまりの巨大なオワンで2/3ほどで限界でした。



龍井農貿市場 茄子





過橋米線(量がすごい)



朝食時に日本の添乗員から西双版納にはスーツケースではなく別に手荷物だけで行ってほしいので荷物を整理してほしいという話があり、「そんな用意はしていないし聞いてもいない、私の場合はビデオのいろいろな機材があってスーツケース以外では持っていけない、こういった事になるのは問題である」という事を主張しました。



石炭の秤売り



今日は文廟の見学からでしたが運転手の王さんの都合で最初は市街東部の燕子洞からの見学です。途中で畑の中の自由市場によりました。農産物と共に石炭の量り売りがあり、大きな石炭の固まりがごろごろと転がっていました。その後 東へ30Kmの燕子洞へ。洞の長さは1300メートルで内部に川が流れていて、川は奥の方へ流れていました。洞の入り口では燕の巣を取るデモンストレーションがあり、トレーニングウエアを着た男性が壁面を這って上にいきます。洞の奥には少数民族の踊りがあるはずなんですが残念ながら見られず、残念。帰りは川を舟で入り口に向かって戻りました。この燕子洞はかなり人手が入っていて年輩者でも安心して見学可能です。ただ中国のいつもの事で内部をカラフルな照明が照らしてしました。



燕子洞





燕子洞のデモ




昼食は洞入り口近くの食堂て。この近くで採れるキノコのスープが美味しい。ここの燕子洞の入り口付近は貴州からの長距離寝台バスの休憩所となっているようで、西双版納へのバスが止まっていました。解放軍のトラックが何台と一緒に建水の街へ戻り、街の西部5Kmにある双龍橋へ。1839年に立てられた 並んだ2つの川にかかった橋です。今では片方の川は流れていませんが田舎の風景と石造りの橋が上手くマッチしていました。近郊の丘陵地帯の山林をずっと切ってきたせいか年々 川の水量が減少しているという話を双龍橋に来ていた老婦人からガイドの通訳を通して聞きました。燕子洞もこの双龍橋も鉄道の宝蒙線の近くにありますが1日2往復という事で今回は列車の姿は全く見られませんでした。



双龍橋脇の線路





双龍橋





双龍橋からの川と線路





双龍橋近くの自由市場




建水に戻り、孔子を奉ってある文廟へ。ホテルより歩いて5分の所にあり、説明も上の空で聞いていました。ただ文廟の内部に歴代皇帝の額があり、この雲南の僻地が相当重要視されていたのがわかりました。ホテルで夕食、その後街でカセットとビデオCDを購入、ホテルに戻り、ベトナム国境の河口から来ている小娘に按摩してもらいましたが 素人でした。



文廟 歴代皇帝の書





建水 ココナッツジュース




スーツケースの件は日本の添乗員が現地旅行社と話し合って無事持っていける事になりました。日本の添乗員も困っていましたがどうも現地、中国雲南康輝旅行社が経費節約の為、景洪の飛行場からホテルまでの荷物車を出すのを嫌がったという話が伝わってきました。今までユーラシア旅行を何度か使ってきましたがこういった次元で催行するのはたまらないものがあります。





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