■麗江 瀘沽湖 昆明 (2回目)

その一





0日目 羽田へ



今回の旅は羽田発 午前7:30で自宅からですと始発でも間に合わない為、羽田近くのホテルで1泊する事になりました。京浜急行線の沿線のホテルエアラインというホテルなのですが、防音が良くなく朝までうるさく、睡眠不足のまま羽田空港まで送ってもらいました。 今回は旅行費用を公開します。広州から広州までの費用です。大人2名($1,640/人)、子供1名($960)それに羽田−広州が\68,000/人でした。(それ以外にもいろいろ掛かりました)それでも前回の去年9月よりは新平県が無いので多少 下がっています。
3月28日から関空−昆明便が就航し、就航記念価格でかなり航空機の代金は安くなるのですが子供の春休みの期間の為に広州線を使用しなくてはならず3人で15万円ほど高くなっています。
しかしこれだけの旅を25万円/人程度で可能ですから 今になって思うとパック旅行は高いと思うようになってきました。





1日目 昆明へ



今回も一行三人は エアーリンクで購入した格安チケットで関空経由で広州へ向かいます。日曜日で機内はほとんど埋まっていました。予定どおり広州に到着、頼んでおいた昆明までのチケットを広州鉄道旅行社?の人から受け取り、$100だけ両替後国内線のターミナルの2階で時間まで小吃を食べて時間調整。広州のこういった所は高くて不味いというのが定番ですが落ちついて座る場所を確保するには仕方がありません。3人で110元も 取られました。ここで子供がカシオのGショックの紛い物を85元で購入しました。旅行中は50元が毎日のお小遣いです。
夕方の雲南航空で一路昆明へ。昆明では今回も旅行社のTさんが出迎えです。彼とは最後まで一緒です。更に、送迎で待っていたのは1月にベトナム国境でお世話になったSさんでした。一路、金龍飯店へ。





2日目 麗江へ




7時頃に昆明空港へ。空港で8時頃の麗江行きの飛行機に乗り9時少し過ぎに麗江へ到着、ここで今回、麗江と瀘沽湖でお世話になる、車と運転手の張さんに会いました。彼は父親が漢族、母親が納西族という事で22才。飛行場のある鶴慶から麗江まで30数キロメートルは完全に道路が完成していて30分ほどで快調に麗江に到着です。


麗江空港から麗江市街へ



麗江の四方街で朝食、「友誼小吃」の右隣の紅楼餐館でした。。


紅楼餐館



麗江の宿は凱天大酒店でまだ新しいようで 雪山中路の中程にあります。現在 麗江ではホテルの建設ブームで今まで 昆明と同程度の宿泊費も安くなるかもしれません。


凱天大酒店



凱天大酒店でチェックイン後、虎跳峡へ向かいます。白漢場を過ぎて中甸へ行く道路を進んで行くと何故か停車です。聞くと、運転手の張さんの生家だそうで、畑で働いていた、母親と父親が迎えてくれました。運転手の張さんは私がお土産に持ってきたAFカメラを家族に渡していました。(この頃 お土産はこればかりです)

30分ほど お茶と日本のおこしと全く同じものをいただいから虎跳峡へ向かいます。


運転手の生家





同 裏の畑





同 お茶受けのおこし
日本のもと味もそっくり



中甸へ向かう道路の虎跳峡鎮で右に折れ、虎跳峡の入場料を支払い、ガタゴト道を数キロメートルほど進むと自動車道路の終点です。今まで虎跳峡のトレッキングの体験記を読むと、大変な場所という印象を持っていたのですが、車でここまで来てしまうと なんだか普通の観光地という印象しかありません。その道路も、すぐトンネルがあって更に先へ進めるようですがまだ工事中のようです。

金沙江から道路までの高さが300メートルぐらいありますので金沙江まで歩いて降りていきます。金沙江の東側は玉龍雪山の西側で切り立った崖となっています。又金沙江の西側は は巴雪山でやはり切り立った崖です。玉龍雪山の頂上はその崖に阻まれてよく見えません。金沙江の川の中には川幅の半分ほどある巨岩があり、そこに観光客が危なかっして足どりで渡っています。そしてその観光客の手を取って巨岩に渡す商売もあるようです。この時の金沙江の水量は通常の水量のようでしたが川幅はそれほどあるわけではありませんので かなりゴーゴーと音を立てていました。去年の9月の時はこの上流の石鼓ではかなり水位が高かったので観光客も危なかったのでは思います。


虎跳峡




虎跳峡




虎跳峡 トンネル工事中




虎跳峡の展望台からゴトゴト道を引き返し、虎跳鎮の街で昼食です。
その後 石鼓へ向かいます。30分ほど来た道を引き返し長江第一湾と石鼓鎮の街へ。ここは名前のわりにあまり見るものはありませんが、丁度 石鼓鎮の街の丘に立つ、長征の記念碑の立て替え工事が行われていて私以外の全員がそれを見に行っていました。聞くところ、人海戦術で大きな人物像を動かしていたようです。


石鼓鎮 銅像の設置
奥は長江第一湾




麗江に戻り、夕食は四方街の友誼小吃でした。この日の夜は遅くなったので夜遊びはせずホテルヘ


友誼小吃



本来 麗江の宿は麗江賓館だったのですが麗江賓館前の道路が工事中で凱天大酒店に変更となりました。大体300元弱です。値段のワリにはなかなか評判の良いホテルだそうです。四方街から遠くなりましたが麗江は6元でタクシーがどこにでも(市内)行ってくれますから全く支障はありませんでした。




3日目 寧ランへ




麗江から寧ランへ向かいます。昨日からの車は東北地方で作られたワンボックスカーで中日合弁のもので9月の同じトヨタの車と較べると内装がかなり落ちますし、スプリングもかなり固めでした。価格は18万元という事です。

四方街から永勝方面に向かいます。市内で鉱泉水と子供用のスプライトを購入しましたが、寄ったお店が問屋だったらしく、鉱泉水が1本1.6元で1箱24本、購入しましたが、丁度良い量でした。そしてガソリンの補給ですがガソリンスタンドには偽札が窓に貼られていてびっくりでした。


加油站の偽札




この日は霧が多く、玉龍雪山、金沙江に掛かる橋辺りも良く見えず、橋と金官で小休止して永勝に12時丁度に到着、昼食は前回と同じホテルで。


道路で脱穀(金官近く)



ここで瀘沽湖の竹地小学校に持っていくノートとシチズンの紛い物の腕時計を購入(35元)この時計 金メッキだったのですが2,3日でメッキがはげてきました。
この県城にはイ族の女性が見受けられるのですが やはり写真を撮ろうとすると逃げてしまいます。


永勝 彝族




運転手の張さんですが22才で運転歴4年、瀘沽湖には10回以上も行っているようです。ただ 瀘沽湖も麗江からだと2泊3日などと実質 観光1日というまるで車に揺られるのが観光というものが多かったようです。今回は6泊ほどの瀘沽湖ですから それに較べずっと楽なはずです。

車は永勝県と寧ラン県の境の峠で休憩です。この辺りが今回の旅行で一番 道路が悪く、今度の車はスプリングが硬くたまりませんでした。更に北上して 戦河 辺りまでくると ゴートーシと呼ばれる10cm程度の石を道路に敷いてありまあまあの道路となります。又 半年前に較べて舗装道路も増えているようです。半年前の9月はまだ草の緑が少しあったのですが今度の3月は緑も少なく、赤茶けた土ばかりが目立ちます。

休憩は包馬坪です。前回も帰りに寄ったのですがここは道路沿いにいつも人がいて、特には彝族の女性が目に付きます。ここで インスタントカメラのチェキで10人ほどの彝族の老人の女性を撮り配っていました。最初は撮られる事を嫌がっていましたが、インスタントカメラである事をTさんが話してからは我も我もという状態で断るのに苦労しました。


包馬坪




寧ランに近づくと手前数キロメートルの拉都河という村で麗江から新しく作られている道路と接続します。元々 道路はあったようですがここは拡幅しているようです。金沙江を渡る所は新しく作られているのでしょう。

寧ランはやはり前回と同じホテルなのですが 名前が変わって「瀘沽湖大酒店」になりました。うーーん名前負けしているような。
ここで 摩梭人のガイド 楊さんと再会。お土産をどっさり渡しました。

チェックイン後、時間がありましたので全員で 寧ランの自由市場を見学、ここで今までどうしても手に入れられなかったダン茶を購入、これはお茶を板状にしてあり削って急須に入れて飲むお茶です。まだ作っている所には出会いませんが、ここの摩梭人はチベット系のお茶の飲み方で、このダン茶をバター茶などで飲むようです。このダン茶5枚ほど、入って10数元で楊さんが瀘沽湖で民居訪問の時のお土産にも 持っていきます。
帰国後、普通に飲んでみましたが まあまあ飲めます。


寧ラン 自由市場(楊さん)




夕食は瀘沽湖大酒店です。ここで現在、寧ランから瀘沽湖までの道路が花博開催に合わせて道路工事がされていて昼間は通行出来ず、朝の6時頃から夜の10時頃までは駄目なのだそうです。そこで明朝は6時に寧ランを出発し、瀘沽湖に向かう事にしました。







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