■麗江 瀘沽湖 昆明 (2回目)

その三







6日目 瀘沽湖湖上周遊




今日は瀘沽湖を小舟で周遊です。
車は落水の船着き場まで行き、そこで多少大きい小船で瀘沽湖の湖上遊覧となりました。天気は多少 雲がある程度です。残念ながら去年の若い曹さんは乗船せず。漕ぎ手は女性2名、男性1名。曹さんがいないの理由は後で判明しました。


船着き場より獅子山





瀘沽湖 船上




まず蛇島と呼ばれる謝娃峨島へ向かいます。この日は霧もなく対岸の獅子山も頂上まで良く見えています。蛇島は去年と違いほとんど緑が見えませんが 清明節の時に咲く花と、潅木の何本が咲いています。
この島の頂上に解放前、地主が住んでいたのですが解放によって追われ、奥さんが落水に住むようになりました。その後文化大革命が起き迫害され、瀘沽湖に身を投げたそうです。そしてその子が生き仏となり、現在は寧ランに住んでいるそうです。

その生き仏になった方のラマ教の勉強は永寧のゲルグ派の「扎美喇(口麻)寺」の隣の新しいお寺だったそうで、民族園に仮住まいしている建物の彫刻をしている人がこの新しいお寺の壁の彫刻をほとんど行ったという事でした。この彫刻の方は麗江の飛行場がある鶴慶県の出身で元は中学校の先生だったのですが、その後 昆明で彫刻を覚え 今は彫刻で生計を立てているのだそうです。
永寧の新しいラマ教のお寺の工事が終わり今は落水の民族園の一間を借りてそこの中庭で彫刻をしていました。出来た製品は落水のお寺の壁などに使われるそうで、その費用は落水の部落全体で出しているようです。


蛇島上陸




蛇島より獅子山




蛇島最上部




蛇島より里務比島へ





電話局と摩梭山庄(ホテル)




蛇島から瀘沽湖の湖岸を眺めてから舟に戻り、更に次の里務比島へ向かいます。
この島には瀘沽湖の中に突き出す吐布半島の先端の先にある島で里務比寺があります。この島は摩梭人の名前では休憩する島という意味の名前がついているそうです。ここの里務比寺は永寧の「扎美喇(口麻)寺」が他の少数民族の侵略を受ける為に、その被害を免れる為に湖上の島に新しい寺を作ったのだそうです。30分程で島に着きますと、既にここの小さな船着き場には既に多くの小船がついていました。ここの里務比寺に入りますと丁度 読経の最中でした。
そこでガイドの楊さんがラマ教のしゃがんでの礼拝をしていました。子供の調子があまり良くないのでお寺の周りにあるマニ車を回してすぐ落水に戻ります。


里務比島より落水





里務比島より蛇島、獅子山




舟の上で ここの正式な住所の話題が出て 例えば
   雲南省 麗江地区 寧ラン県 永寧郷 落水村
だそうです。郷と鎮は同格だそうです。


落水の船着き場で摩梭人の老板の女性に船代を支払い又 いつもの四川料理店へ。
途中 瀘沽湖湖畔で若い元気な曹さん(曹珍さんではありません)達が取材クルーと一緒にいました。中央電視台の撮影で歌のバックに出るようでした。私はそちらよりも取材クルーの撮影風景に興味があり眺めていました。ビデオカメラはSONYのデジタルベータカムで、瀘沽湖と中国には全く似つかわしくないカメラです。(レンズ無しで700万円ですから1000万円ぐらいはするでしょう)中国で見る 解像度が低く、色がやたら強いテレビとデジタルベータカムの映像とのギャップは大変なものがあります。しかもやたらとカメラを動かす撮影には疑問がありました。サブカメラは私の使っている松下のNV-DJ1のPAL版の業務用で同じようにワイコンも装着されていました。


CCTVと曹さん達




CCTV




CCTV




四川料理店から一端民族園に戻り、再度 中央電視台のクルーの観察をして、2時からは獅子山の麓の竹地海、中海子、小海子へ向かいます。ここは秋の獅子山祭の会場のようです。車で取りあえず、竹地小学校へ向かいます。ここは「魅惑の雲南12000km」で紹介された小学校で著者の川野さんが訪れた時の話をしたのですが 今の先生は半年前に赴任されてきたので判らないという事でした。小さなノートを100冊ほど置いてきました。ここは里格島や小落水の生徒が通っているそうです。


竹地の希望小学校




車はそれから獅子山の北西の麓を廻って中海子、小海子へ、どちらも小さな池なのですが獅子山 直下の場所で遠くに永寧の街が見えています。道路が良くなく、又天気も悪くなり、途中道路が酷くなっている場所で引き返して 今日の移動はオシマイにしました。やはり標高も3000メートルほどあり、天気が悪くなると急に寒くなります。
道路の両側には赤茶けた畑があり、丁度 春のじゃがいもの植え付けの為にコヤシを撒いているようでした。ほとんど人家も見えず寂しい場所でした


獅子山より永寧方面




夕方 民族園着、まだ停電は続く。夕方 湖畔のいつもの食堂で夕食。今夜は摩梭人のお祭りが民宿ではなく 中央電視台の為に船着き場で行われているそうなので見学に行きました。既に撮影は終わっていて一般のお客さんの為に踊りが始まっていました。暫く見ていたのですが 瀘沽湖の風が当たり寒くなってきましたので 引き上げました。今夜もロウソクと懐中電灯で就寝





7日目 ラン放へ




この日は、本来自由日で目的を決めていなかったのですが、瀘沽湖の南側へ 廻ってもらう事にしました。
朝食は前日、昼食を食べた糧食局招待所近くの四川料理のお店の道路の反対側の餃子屋さんです。店の広さも8畳ぐらいで心配したのですがなかなかの味とボリュームでした。落水には結局、私たちが行った3軒の食堂しかないようです。


車は落水の餃子屋さんから直接 瀘沽湖の入域ゲートを過ぎて道路を左に折れていきます。旅行人のスーパーマップで「普米」と書かれている場所へ向かいます。実際には普米というのは普米族の事で地名としては「ラン放」だそうです。(ランは寧ランのランです)

雨が降っていてしかも道路がとても悪く、何度も何度も車の底をこすりながらまず漢族の村に到着です。ここまではゲートから2−3kmだと思いますが、変わった家があって家の外側の土壁に蜜蜂の巣がする切り株が張り付けてあるのです。1軒で大体 10コほどでしょうか。蜜蜂が出入りしていました。


農家の壁に取り付けられた蜜蜂の巣




更に進もうとしたのですが、道路が更に悪くなりすすめません。仕方がありませんので徒歩で雨の中を行く事にしました。摩梭人のガイドの楊さんの同僚の実家がラン放にあるとかで そこへ向かいます。しかし、道すがら聞いてみますとまだその家まで1.5kmあるそうで断念。そこで近くの普米族のお宅に訪問となりました。

ここ、摩梭人の家ではズドダブのベットがある場所が窓になっていて明るくなっています。家にはおばあさんと小さい女の子がいて、1時間ほど おもちゃを上げたり、チッキで撮影して楽しい一時でした。その後 一家のご主人が帰ってきました。この人は竹地の公安だそうで、週に一度は家に帰ってくるそうです。
その人の話では発電所からの電柱が1本折れて停電になっているそうで、そろそろ復旧してくれないと困った事になりそうです。

ここでは 一人っ子政策は「2人」までだそうです。


3月は花咲く季節




左は楊さん




雑貨店




車で瀘沽湖のゲートに戻る途中に四川省から来たという美術学校の生徒達と合いました。徒歩で元気良く歩いてきていました。どこへいくのでしょう。


美術校生?




今夜からの宿泊は唯一のホテル、摩梭山庄です。落水から摩梭山庄までの道路はかなり悪かったのですが、改良工事が始まり、10cmほどの石を手で敷き詰めていました。このゴートーシと呼ばれる石を敷き詰める作業を初めて見る事が出来ました。ここは花博の工事でも舗装にはならないようです。早めにチェックインをしてこのホテルのレストランで昼食。午後からは予定はありません。ただ停電中。

このホテルですがお風呂は太陽熱で湧かすのだそうで、雨の日は入れないとの事で 連続4日間お風呂無しです。雨の日ぐらいはゆっくりと部屋にいるのも良いと思ってのんびりしていると午後3時ごろ 停電が復旧しました。それまでは短波のラジオを持ってきていたので 毎日ラジオジャパンを聞いておりました。急いで充電。

4時半頃になると天気も良くなり、ぶらぶらと隣の郵電局まで行ってみました。ここは小さな半島の一番高い所に辺り瀘沽湖の長めも素晴らしいものがあります。郵電局の建物も真新しく、ここ瀘沽湖では一番良い建物のようです。(ここは自家発電があって停電もありません)


電話局より落水方面




ホテルで夕食後、レストランの隣で去年と同じように摩梭人の踊りがあるので待っていましたがなかなか始まりません。何でも2グループのお客さんがこちらに向かっているようですが道路工事の為に深夜にならないと到着しそうにないとかで、結局夜10時頃、私たち6人の為に踊りをしてくれるようになりました。ここの踊り子さんは昼間は客室の準備をして夜は踊りで大変です。しかも今は、道路工事の影響で寝る時間が無いのでは。

たった6人のために十数人の摩梭人が踊ってくれ、その中に内の子供も踊っていました。子供はステップもすぐ覚えてしまうようで、すぐ上手になっていました。
11時半頃就寝 電気はあります。


摩梭山庄




摩梭山庄の経理




摩梭山庄






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