■麗江 瀘沽湖 昆明 (2回目)

その五







10日目 麗江へ





5時少し前に起き出し洗顔後、麗江へ向かいます。まだ暗い中を取りあえず、寧ランへ車は進みます。ほとんどの人がボーッとしています。段々と薄明かりが射してくる道路を見ますと1週間ほど前に較べ 少しだけ舗装道路も延びました。また道路両側のセメントで作られていた防護帯?もかなり出来てきました。中国にしては大変な速度だとは思うのですが、それでも瀘沽湖−寧ランの距離を考えたら 花博が終わる頃に完成すれば早いのではないでしょうか?

午前7時半に寧ランに到着、摩梭人のガイドの楊さんが勤めている瀘沽湖旅行社がある小涼山賓館で朝食でした。ここで1週間お世話になった楊さんともお別れです。暫くすると大連の民族村へ行かれるそうなのでもうお会い出来ないかもしれません。

ここからは一路、昼食の永勝へ向かっていきます。運転手の張さんは若いからか元気のようです。ゴトゴトと車はいくつかの山を超えていきます。しかしさすがの張さんも眠たくなったという事で、清水河という村で休憩です。ここは9月の時に往路で休憩した彝族の村のようです。村の中を歩いて行くと清水河完小学校があり(完は1年から6年までを指す)そこで 全校生徒の体操が行われていました。テレビなどでは良く見る光景なのですが私には初めて見る光景でしたので ずっとビデオカメラで撮っていましたら、向こう側でもこちらを観察しているようでした。


清水河小学校




1時間ほどして昼食の永勝へ到着。ここで子供が中国将棋を見つけて2セット購入。

更に 麗江へ向かい、金沙江に掛かる橋までやってくると 丁度 市の日だったらしくかなりの人出でした。ここで30分ほどウロウロしていました。バナナそっくりの芭蕉を購入、この果物はバナナより甘さが控えめで気持ちすっぱいようでTさんは好きではないと言っていましたが私たち家族には美味しくいただきました。一房2元。後はオレンジを購入。これはかなり甘いのですが。1斤3.5元。


金沙江の橋 市の日




同 芭蕉(バナナ)




金沙江




午後4時過ぎに麗江到着。宿は凱天大酒店


玉龍雪山 凱天大酒店より





ホテルで夕食後は家族で四方街をうろうろしたのですが暫く歩いてから、結局前回訪れた 東巴宮へ向かいました。今回7月に出た「アサヒグラフ」が麗江の特集で表紙がこの東巴宮の老東巴なのです。そこで2冊を持参し、1冊をTさんに、もう1冊をこの老東巴に渡そうと持ってきていました。入口でこの雑誌を見せると持っていないという事で 明日渡す事を約束して中に入りました。
去年はお客さんもガラガラだったのですが今年は 日本のパックツアーの「ワールド航空サービス」によって良い席がほとんど確保されてしまっていて私たちは両側の座席になってしまいました。しかし東巴宮の緞帳の上に「ワールド航空サービス 麗江と長江源流の旅」などと書かれているのを見ると堪らないものがあります。座席の位置が悪いので私は両脇から立ってビデオ撮影でした。

この時 家族の席と隣り合った男性は日本から1人で来たようですが、全部日本語ガイドがつくように頼んだのですが麗江は英語のガイドだったそうです。麗江には日本語のガイドはいるのでしょうか?

凱天大酒店に帰りますとビデオライトの電池が1ケ不足、そういえば東巴宮でおとしたような。

尚 前回の9月では毛沢東像の反対側にあった雲嶺劇場でも東巴宮のような出し物があったのですが 雲嶺劇場そのものが取り壊され、花博の麗江の会場となる建物が建っていました。





11日目 束河 玉峰寺 雲杉坪




凱天大酒店で朝食後 南方旅行社のテイさん(漢字は不明)がガイドとして一緒でした。まだ若く笑顔の可愛い女性で言葉は通じないのですが優しそうな方でした。やはり運転手の張さんと同じくで父親が漢族、母親が納西族だそうです。でもやはり言葉が通じませんので なんとなく距離感はありました。こういった納西族の女性のガイドさんは南方旅行社で50人以上いるとかで やはりそれだけ麗江は観光都市ての人気があるのでしょう。
この日の朝 ある失敗をしてしまいました。それはそれまで撮ってきた写真のフィルムを麗江で現像してもらったのです。この日、最初に四方街に回ってもらってフィルム13本を出しました。夕方には出来ているという事で・・・・・・



先ず 世界遺産に指定されている束河へ向かいます。車は凱天大酒店のある雪山中路をそのまま北へ進み、突き当たった所を左に入っていきます。この道ですと、龍泉村束河へは南から入る事になります。張さんの話では近道のはずでしたが、段々と細い道に入っていきます。両側には石積みが壊れた場所があり、工事でもしているのかと思いましたら96年の麗江の地震の時のままという事で初めて 麗江地震の大きさを実感しました。その内にその道は先が工事中という事で進めなくなり、一端 麗江市街に戻る事になりました。
車は白沙村へ向かう広い1本道に出て飛ばしていきます。前回入った道を行くのかと思いましたが更に進んで白沙村の道に入りました。大宝積宮の脇を抜けると商店の前で停車。そこには張さんの学校の同級生が偶然いて 束河まで同乗して道案内をしてもらう事になりました。(結局 地元の運転手の張さんは場所を知らないのでした それでも彼は地元の南方旅行社の運転手です)白沙村から逆に南下して、やっと 前回通った束河の入口の道に何キロも進んで到着しました。

束河は半年でほとんど変わっていず、納西族のお宅、2軒ほどを見学させてもらいました。息子さんが雲南の大学で農業の先生をしているとかで専攻をお聞きしたのですが不明。台所は几帳面な納西族だけあって綺麗なものでした。又ここのお寺に行きましたら、丁度 納西族の人が集まって宴会だとかでお呼ばれしたのですがまだ先がありますので残念ながら辞退しました。ここでもチェキが大活躍で皆さん喜んで下さいました。


束河 龍泉寺
半年前と同じ位置より




ここ束河もアサヒグラフに載っているのですが、半年前に来たときは丁度、TBSの世界遺産でここ束河が紹介された後で、その後 日本人客が増えたかどうか聞いたのですが増えていないという事でした。四方街と異なりまだまだ俗化していませんのでお勧めです。

車は白沙村に戻り張さんの同級生を降ろして玉峰寺に向かいます。私はこれで3回目ですが家族は初めてです。一度 パックツアーで麗江に来ているのですが白沙村と雲杉坪に来ていて玉峰寺には来ていないのだそうです。丁度 樹齢数百年という椿が咲いていました。ただ 満開というより、少しづつ咲いているという感じです。


玉峰寺





玉峰寺から玉龍雪山の真東にあるリゾート地帯にある山荘で昼食です。ここでもワールド航空の御一行様と遭遇、あちらは席につくとすぐ食事ですが こちらは注文して最低30分はかかります。こういう時はパック旅行はいいものです。ここの標高は3100メートルほどありました。
この山庄から新しい玉龍雪山のロープウエイ乗り場までバスが出ているそうなのですが、そのロープウエイの最高地点が4500メートルを越えるそうなので 高山病が恐くとてもそのロープウエイに乗る気力はありません。乗るときは責任は負えないと念を押されるとかで 家族旅行ですから雲杉坪のリフトで充分です。

20分ほどで雲杉坪のリフト乗り場に到着(97年12月の雲南旅行を参照して下さい)往復40元。雲杉坪は前回と較べ大きく異なり、今は中に入れなくなっていた事です。雲杉坪の周り全部を木道で囲い、その木道を歩くしかありません。もう単なる観光地でした。雲杉坪の景色は天気が良ければ玉龍雪山が良く見えるのですが、それよりもリフトに乗った時の景色の方が玉龍雪山の麓の景色が見えて良いと思います。


雲杉坪のロープウェイ乗り場




雲杉坪




玉龍雪山




5時頃凱天大酒店に戻り家族で四方街へ。昨夜落とした電池を東巴宮へ探しに行きました。すると流石に納西族できちんと保管しておいてくれました。感謝。ついでにアサヒグラフを置いてきました。そして格蘭大酒店前のDPEで朝出したフィルムを貰ってきました。現像3元、プリント1枚、5角ですから日本に較べたら格安なんですが ホテルに帰ってみましたらもう、


◎大部分のプリントが暗い。しかも中には同じフィルムの中でも異常に暗いものがある。

◎色合いが大きく変

◎プリントした枚数とネガの枚数が違っている。
  異なった袋にネガとプリントが混ざっている。
  中には36枚撮りのフィルムなのに35,36枚目のネガが無いものがある。

◎帰国してそのネガでプリントを出して見るとやはり色合いがおかしい。

という事で、決して中国でフィルムを現像してはなりません。今回はあまりの酷さにビデオカメラの方が余程マシという具合になってしまいました。
安さに釣られて大失敗

夕食はホテルの予定でしたが停電の為、再度 全員+南方旅行社の副社長とで四方街へ向かい夕食。場所は三合飯店だったと思います。なんだか旅行会社同士の接待のようで、どっちが客か! という家族の意志もあってそうそうに家族だけ退散。新華書店へ向かいます。ここで子供が雲南少数民族の建築集を見つけて購入、厚いのですが自分で持って帰るという条件です。


四方街




SAKURA CAFE




三合飯店?










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