■三峡下り (2回目)

その四







8日目 巫山−香渓鎮−シ帰へ




残念ながら この日も朝から雨ですので巫山に向けて出発する事にしました。大昌鎮の南門まで歩き、そこで7時過ぎの舟に乗り一端 八角邱に接岸してここで乗り換えて巫山に向かいます。前日からの雨で大寧河の水も増えていてかなりの速さで流れています。霧のかかった農村の風景を舟から眺め、同行のTさんはこういった所に住みたいと言っていました。(雲南にもあると思いますが) 朝食は無し


巫山までの船内




巫山へ




巫山までの間 4度ほど港ではない場所で下船するお客さんを下ろし2.5時間ほどで、午前中に巫山の町に到着しました。ここで香渓鎮へ向かう船、江山1号が巫山の港にいましたので「自力」で乗り込みました。乗り込む時に、大昌鎮と奉節の世話をした旅行社の人間と称する人に見つかり 勝手に江山号までついてきました。私たちが空いている1等の部屋を確保している間に船内の船票売場で 今の客は私が連れてきたのだからバックが欲しいと交渉しています。もう呆れてしまいましたが、その内に今度は船の服務員が私たちの部屋にやってきて、同じ話をします。同行のTさんがなんとか事態を説明して理解してもらいました。


巫山より下流方面
右側、本流  左側、大寧河




昼食 弁当




江山1号の1等船室は廬山号の1等船室と較べ内装がずっと良く同じ価格でも運によって随分違うものだと感じました。こちらの1等船室は96年の時の三峡号の船室とほとんど同じで 重慶−武漢間をストレス無く観光出来ると思います。出発まで1時間ほどありましたので、船が接岸している浮き桟橋の上で簡単な弁当を食べて昼食です。巫山−香渓 102元/人

江山号は巫峡を下り初めます。暫く行くと左側に神女峰が見えてきますが いつもの事ですが 小さく、巫山12峰といってもどれがどれだかわかりません。観光船のようですが船外の解説はこの旅では全く聞いていません。ただ接岸する港の案内はありますので注意して聞いていたました。巴東の次は昭君故里のある香渓鎮です、地図ですと船の左側にあるようですが、船のアナウンスでは シ帰 を通過したとの事、急いで地図を見ると シ帰の手前に香渓があるはずなのに 焦って下船の準備をするとまだ香渓鎮はまだとの事 ワケがわからずにいましたがその内に香渓鎮に着き 下船しました。後で地図をいくつも見るとシ帰と言われる所は2ケ所有って、地図にはそのどちらか1方しか載っていないようです。今でも良くわかりません。現在、三峡ダムで沈む長江沿いの町は既存の町と新しく引っ越す先の町がありますから更に場所の確認は難しいと思います。


巫峡




江山号 操舵室
指で方向を示す




巫峡




神女峰




巴東




シ帰(宿泊地)




香渓の港は小さい町で人家もそれほどありませんでした。ここは香渓河が長江に流れ込んでいる合流地点であり、その香渓河を遡ると昭君故里、屈原故里があります。まだ夜まで時間がありますので タクシーで昭君故里へ向かう事にしました。港には丁度1台のタクシーがいて交渉の結果、昭君故里往復+先ほど通過したシ帰への片道(香渓には宿泊施設は無いとの事)で170元だそうです。 乗ってからいろいろと聞くと乗ったタクシーは香渓で唯一のタクシーで運転手の「屈」さんのものだそうです。


江山号と対岸の新香渓




香渓(街)




車は香渓河に沿って遡っていきます。香渓河の反対側を見ますと三峡ダムで水没する為に引っ越しの済んだ農家の建物が山腹に点々と見えていきます。ここの山腹は四川省よりも緑が多く、それも柑橘類の緑と思われそれなりに農家が暮らしていたのだろうと思うと、残念でなりません。なんだか日本にもこんな風景があったのではと思います。


香渓の農村




十数Kmほど遡って ここから香渓河の支流に入ると屈原故里だという所までやってきますと車が何十台も止まっています。聞けば土砂崩れでまだまもないとの事、公公汽車の車掌が土砂崩れの向こうの 公公汽車のお客の入れ替えをしているのですが 激しく口論しています。こうなっては仕方がありませんので私たちも引き返します。昭君故里は諦めました。まだ時間がありますので帰り際に王昭君の累代を奉った建物があるという事で 道路に車を停め、香渓河に掛かる異常に長い釣り橋を渡ってその建物に向かいます。この釣り橋ですが、鉄製ではあるのですがかなり古く、長さの200メートルぐらいあります。床板の材木も古く 所どころ穴が空いています。それだけあって香渓河を越えて行く時の風景はなかなかのものでした。


崖崩れ




香渓に掛かるつり橋




王氏代々を奉った建物は既に建物内のものは水没しない別の所に移され、現在は農民が自宅として使っていました。ただ建物と石碑だけはそのままで 家の中に入って見せていただきました。ここには十人程度の方がいて 皆さんなごやかに相手をしていただきました。湖北に入って、豊都や巫山の体験と較べるとここは ほっとするものがあります。建物の周りはやはり柑橘類の畑でした。ここは素晴らしい風景のようにも感じられます。(雲南にもこの風景はありません)


王氏宗祠




王氏宗祠に住む農民




香渓




一端 香渓の町?に戻りそこから長江を遡りシ帰の町に向かいます。10Kmほど長江沿いのデコボコ道を遡るとシ帰の町です。(もう一つのシ帰は長江の南側で少し長江から離れています)道路から見る長江の姿は初めてですが 思ったほど夕方の船の数は少ないようです。タクシーが着いた所は シ帰賓館でした。この町も全て水没するようで 町も暗ければ、このシ貴賓館もなんだか暗く、汚いのでした。Tさんとは今夜は別々の部屋という事で2部屋を確保して 賓館内で夕食。(120元/室)
この頃になると旅行疲れかもう 町に出る元気も無く寝るだけでした。


シ帰賓館











9日目 香渓から宜昌・岳陽へ




同行しているTさんは毎日 良く寝ます、この日も8時近くまで寝ていますから、本当にガイドのだろうかと疑問に思う時もありますが、そんな時はこちらから部屋に行って起こしてしまいます。私が頼んでおいた 軽自動車のワンボックスカーで香渓鎮の港まで向かいます。(20元)湖南省に入ってから不愉快な体験は全くありません。こちらの方は金額の約束は守ります。

香渓の港は小さいようで大形の観光船はあまり止まりません。昨日の江山1号は運が良かったようです。ここから数Km下流にある、青灘危岩の写真を撮りたいと念願だったのでいろいろと船の便を聞いてみましたら 青灘へは船の便があるがそこから下る便が今日はもう無いとの事、宿泊設備も無いという事で、青灘への立ち寄りは諦めて船から撮影する事にしました。残念。

香渓から下る船は午前中は小型船しかないとの事でその船を待つ事にしました。それまで香渓の浮き桟橋で待つ事になりましたが、こちらの方は皆さん穏やかな方ばかりのように感じられ 浮き桟橋の住人の家族の赤ちゃんをチェキで撮影したりして2時間近く、暇つぶしをしていました。こういった時間の方が観光よりも面白いかもしれません。 9時過ぎにやっとやってきました。小型船(全長20メートルぐらいか)で金号(金は 金が3つの金です)で寝台がいくつかあって宜昌まで24元です。寝台といっても2人部屋でベットはうーーんと唸るようなものでしたので一度も寝ませんでした。しかし小型船だけあって船の最上部も椅子が有ってゆっくりと三峡を眺める事が出来ました。今回の三峡下りで一番良い船でした。ただ小型船であまり航続距離は長くなく、この船も巫山から宜昌のようでした。最上部の甲板で椅子に座りながらお客さんと交流が出来る、景色も良いという事でこの旅では最良の船です。


金星号で宜昌へ
右の川が本流、左の川が香渓




金星号エンジン




船はすぐ出発するのかと思うと香渓の対岸の町へ行き、お客さんを乗せ、再度 香渓の港に戻り、もう一度お客さんを乗せやっと出発です。青灘もすぐに見えてきましたが霧があって前回の感激は 残念ながらありません。


青灘危岩




個人的には 三峡の中で両側の山の高さが低く、ゆったりとした景観が楽しめる西陵峡が好きですので 存分にこの景観を楽しむ事が出来ました。


金星号




その内に船は三峡ダムの工事現場の三斗坪に差し掛かります。前回はまだ工事が始まったばかりで砂利ばかりが目立ちましたが 現在はかなり護岸の工事も終わりダムの両側の工事も出来つつあるように思いました。しかし現在 長江が流れている水路はまだ ダムとしての機能は全くしておらず ダムによる水位の上昇は全くありませんでした。報道では少しづつ上がっているという事でしたが以外でした。ダムのすぐ下流側には多くの工事材料を加工するプラントが出来ていて巨大な工場のようです。そしてそのすぐ下流の三斗坪の町は近代的な町に変貌していて大きな建物が相当数見えました。そしてこの工事現場から宜昌までの工事用道路も完成しています。


三峡ダム工事現場
ここが本体になるらしい




西陵峡




西陵峡 金星号操舵室




11時半頃宜昌の葛州覇ダムの上までやってきました。ここで港ではない橋のタモトに接岸してから葛州覇の船を上げ下げする水式エレベーターに入りました。ここは前回体験した大形船用ではなくて、小型船用で小型船6隻が入れば一杯なのですが金号が5隻目で6隻目がなかなか やってきません。陽射しも強くなりジリジリと待っていますとやっと1時間ほどして6隻目の到着です。いよいよ水抜きです。前回の大形のエレベーターと異なって水抜きもスピードが速くあれよあれよという間に船が下がっていきます。私は船の最後部に三脚をおいて全て普通のスピードで撮影しました。前回は待ちきれないので 間欠撮影をしてしまいました。


葛州覇閘門
やっと開始




葛州覇閘門
排水完了




葛州覇閘門
やっと出発




10分ほどでしょうか、下の閘門も開き 宜昌の港に向かいます。宜昌の港は閘門から10Kmほどあるでしょうか、かなりの距離がありました。この港には 前回の三峡上りの時に度々 見かけた「平湖2000」という豪華船が停泊していて全く動く気配がありません。また その他の豪華船もほとんど三峡で航行しているのをみません。三峡ダムの締め切りが全く行われていないのにも関わらず人気というのは、正確に状況を把握しない多数の人々から成り立つのではないかと理解をしました。(私もその一人ではあります)


宜昌港




宜昌の港は長江に沿ってかなりの浮き埠頭の数があり、端から端まで相当の距離があります。ここから次の目的地 岳陽までの船票を買わなければなりませんが取りあえず昼食です。私は金星号でインスタントラーメンを食べましたがTさんは朝から何も食べていません。船着き場近くのもうお昼の営業も終わりそうな食堂を探して入りました。さすがにTさんも沢山食べています。私も食べ過ぎました。ここで下流方面の船票売場を聞いて、歩いて行きました。数百メートルほど下流に船票売場と待合い室があり、ここで5時発の江渝21号の船票を購入、この船は2等しか買えず、売場にも1等の表示がどこにもありません。乗船してから確認しましたらやはり船自体に1等がありませんでした。

ここで1時間遅れの6時に乗船し 窓の無い2等船室になりました。乗船してからなかなか出発しません。ゴトン、ゴドンと音がしていますので行ってみますと杉の丸太を船に積んでいる所でした。この船は客船+貨物船なのでしょうか?
この日の夕方から2日間ほど天気が悪くなり、小雨が降り出しました。夕暮れの中を船は宜昌の港を出ていきます。2等の船室は2つのベットと洗面台、カラーTVがあります。今まで乗った船のカラーTVは船の方向が変わっても人工衛星からの電波の自動追尾装置がありほとんどTVを常時見る事が出来ます。3年前に較べ進歩しました。

夜中の12時頃 荊沙市に到着、接岸すると18才ぐらいの学生が大挙して乗船してきました。3等の船室に入り 江渝21号もほとんど満員の状態です。荊沙を過ぎると長江から見る両岸は平坦な地平線が続き、人家がほとんど見えません。岳陽には1時間遅れの8時半頃 岳陽近くの長江の港、城稜(石几)に到着しました。
宜昌−岳陽 2等 151元/人


12人部屋










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