雲南 新平県戛洒鎮
(2回目) その二
3日目 戛洒滞在1日目
招待所から元江
招待所前
招待所前の電柱
お葬式用の飾り
裏通り
民家が並んでいる
いよいよ戛洒の日々が始まりますが2日間はガイドのTさんと運転手のSさんと共に戛洒滞在です。取りあえず宏福飯店で朝食後に戛洒の公安派出所へ行き「挨拶」をしました。宏福飯店から200メートルぐらいの距離で所長がいましたので表敬訪問です。
その後 車で県城からくる途中にあった腰街との間にあるダハ橋へ向かいます。ここは戛洒の町から手前数Kmの所にあり元江に流れ込む支流にかかる橋です。戛洒は南国の気候から竹が多く、ここのダハ橋のたもとでは 竹製の箸を手作業で作っていました。戛洒では以後この箸を作る内職?をかなり見るようになりました。100膳作って1.2元だそうです。
ダハ橋
ダハ橋のたもと
割り箸作り
割り箸
(戛洒の集荷所)
ダハ橋から支流に沿って登って行くと小さな発電所があり 20KW程度の発電量のようです。建物にはドアが無く内部が良く見えます。帰りに中に入ってみましたが配線がむき出しでした。20Kwですと日本では10軒程度の発電量でしかありませんが中国の一般家庭では100軒程度はまかなえると思います。計器類も全部がアナログ計器でした。
ダハ橋の下の川
発電所
ダハ橋から戛洒の町に戻る途中、何度も車を止めてもらい写真とビデオ撮影です。ここの景色はなだらかな丘陵地帯でほとんどが棚田の稲作でした。農作業している女性の多くが花腰タイ族の簡単な民族衣装を着ています。ここの景色が日本の農村風景を彷彿とさせるもので、単に旅行で滞在するより1年ぐらいはこのままいたいと思ってしまいます。
雨の中の元江
手前は全て水田
タイ族の入れ墨
招待所前
昼食後は戛洒から東北方向の大紅山へ。
元江
元江東岸より戛洒
地図ではどうしてもこの大紅山が探せないのですが、鉱山があるそうで、この鉱山へ日本人技術者がやってきた事があるそうです。(大紅山は2000年8月に行きました。戛洒から13Kmの所にある鉱山で鉱山の街がありました)
この大紅山方面へ車を進めたのですが かなりの距離があるという事で戛洒から元江に掛かる橋を越えて数Kmの所で彝族の家庭を突然訪問しました。オバアチャンが一人で留守番をしていて家の中に案内してもらいました。特に家の中には少数民族を意識するものは見あたりません。ただ家族から解放軍参加者があるという金属製のプレートが家の壁に掛かっていました。
お礼にチェキでオバアチャンを撮ったのですが どうもすぐ目をつぶってしまって結局4枚も撮影するハメになってしまいました。部屋の隅には漬け物を入れた陶器があり、美味しそうだったのが印象的でした。
彝族訪問
冷蔵庫
同 竹の子の千切り
戛洒と南恩滝
南恩滝
次は一端 戛洒の町の近くまで戻り、北の水塘へ。戛洒から水塘は舗装されていて30分ほどで水塘に到着、戛洒から水塘までは谷間の道路で両脇には水田が少しある程度です。水塘では市場をぐるっと回って戛洒に戻りました。
水塘
雑貨店の黒砂糖
食堂街?
夕食は前回 民族衣装を着てくれた小姐(T1さん)とこの小姐の友人の小姐(T2さん)の5人で宏福飯店へ。この友人の小姐はこの後大変お世話になりました。
宏福飯店は夕食時に結婚式の披露宴で新郎、新娘(しんにゃん)が店の前に出ていました。2時間ほど、100人以上の人で賑わっていました。
夕食後は一晩お世話になる予定のT1さんの家を訪問しました。T1さんの家族は本人と父親、母親の3人家族との事で、招待所からすぐの所でした。家は2階建てで照明が日本と較べて少ないせいか 随分と暗い感じでした。(戛洒ではこれが普通のようでした)1時間ほどいろいろとお聞きして後にしました。
戛洒の町は夜9時頃には大部分は閉まってしまうのですが 一部 深夜の2時頃までやっている所もあるので 昼間は暑くて活発に活動できそうにないので深夜に探検するのも面白いと思います。深夜にうろうろしても危険な感じは全くありません。
4日目 戛洒滞在2日目
この日は朝からかなりの雨で道路が心配です。TさんとSさんはこの日に昆明に帰るつもりのようで、予めこの日も同行していただくようにお願いした日程表を渡しているのですがまたも無視するようです。ここで日程の無視という行為を責めたてても約束を守らないという事が「中国」なのかなと感じました。結局 雨という天罰が下り道路が通行出来なくなり この日は昆明に帰れなくなりました。
午前中は、雨もなかなか止まりませんので招待所の1階にある貸しVCD屋さんにあるVTRを借りて私が撮影したビデオテープを近所の暇な人たちと見て時間を潰していました。正午前に雨も止んだのですが、新平県城に向かった公共汽車が招待所に戻ってきてしまいました。昨日行ったダハ橋の所で道路が雨で流されてしまったようで、北の水塘への道路も寸断され戛洒は陸の孤島となってしまいました。
この田舎では道路が通行不能になった場合、道班(道路管理者)の人たちが果たしているのだろうか?と思うのですがどうしようもありません。お昼頃 ダハ橋近くのレストランに招待所の経理と一緒に昼食に出かけました。ダハ橋の近くはやはり雨で道路が欠損していて 場所によっては道路巾の半分の土が下の畑地に流れてしまっている所がありました。ここでは、同行してきた中国人の食事が続いていたのでこのレストラン近くの民家も花腰タイ族の農家のようで 突然一人で訪ねてみました。家には2家族の人がいて丁度 お昼の準備をしていました。片言の会話をし、写真を撮らせていただきました。ご飯も誘われたのですがすでに過了。その内に学校へ行っていたらしい娘さんが帰ってきました。(とてもかわいい)
水害
昼食 魚の空揚げ
タイ族
戛洒に戻りましたが、TさんとSさんと元江の川縁へ。
夕食は宏福飯店ですが、いつも同じ場所では飽きてきます。夜8時ごろ1階のVCD屋さんにいますと到着したトラックが荷物を降ろしています。やっと道路が復旧したようですので、これでTさん、Sさんとも明日昆明に帰れるでしょう。
夜の2時頃まで招待所の前の米線屋で時間を潰していました。米線屋はこの後 朝7時頃には店を開けてお客を待ちます。
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