雲南 新平県戛洒鎮
(2回目) その三







5日目 戛洒滞在3日目へ




米線屋で朝食。2元
やっと道路も復旧して、Tさんと運転手のSさんは戛洒に戻れます。しかしSさんの北京ジープは持病が再発してエンジンがなかなか掛かりません。結局1時間ほどでなんとか安定してかかるようになり、8時に昆明へ向けて出発です。これからは私一人で戛洒に滞在です。

やっと自由になったような気がして戛洒の町を歩いてみました。招待所の周りには極普通の民家があり、それぞれの生活があります。一人でカメラを持って歩いていると出会う人も私が珍しいようで何か言葉をかけてくるのですが、雲南語か、タイ語のどちらかのようで私には全くわかりません。でもなんだかほっとする話し方で言葉が通じなくてもなんとなく身ぶり手振りで意味は大体判ります。吃飯了口馬だけは通じます。
200メートルほど民家のある路地を歩いていると人民政府のある通りに出ました。そしてその通りには T2さんの家が偶然有って、彼女にばったりと出くわしました。以後 朝起きると彼女の家に行くようになりました。1時間ほどお邪魔して退散。この家はお兄さん夫婦も同居していて赤ちゃんもおりました。



小川での砂取り





戛洒入口




お昼はT1さん、T2さんと共に宏福飯店にて。



昼下がりの大通り








午後はT1さん,T2さんの3人で元江の川辺へ 元江は雨期りせいか赤く濁っていました。その後 一人で戛洒の町を散策。
夕食は再度、宏福飯店へ。大米、ビール、料理2皿で食べ切れません。20元です



穀類麺類価格表




こうして戛洒の一人での最初の1日が過ぎて行きました。ボッーとしている間に1日が過ぎて行ってしまいます。大体 日本の生活の2,3倍の時間が流れます。以後 ボッーとした日が続きます。1日は目的を持っていないと何もしない日となってしまいます。





6日目 戛洒滞在4日目




この日も起床後T2さんの家へ まだ7時頃だったせいか全員寝ていましたので声をかけただけで退散。それに今日は市の日です。

戛洒では1と6の数字が付く日に市が立ちます。去年はたった1泊だったのですが運良くこの市の日に当たりましたが、今回はこの日だけが市の立つ日でした。



農貿市





農貿市




市は去年と異なり道路での露天ではなくこの市の為の舗装された広場と 毎日行われている市場の二つで行われていました。人出はいつもの戛洒の10倍以上の人が集まり大変な賑わいです。毎日行われている市の方では主に野菜、肉類が取引されこちらには花腰タイ族の年配の人が民族衣装を来て売りに来ていました。やはりここでも正式な民族衣装を来ているのは50才過ぎの女性達で30-40才ぐらいの女性は簡易タイプの民族衣装です。残念ながら小姐で民族衣装を着ている人は一人もおりませんでした。
この市の為だけの市場は舗装された広場で野球場ぐらいの広さがあり、普段はその広場の周りの小飯店が何軒か営業しているだけですがこの日は売る側も大挙して押し掛け、周りの小飯店も全て営業しています。こちらは野菜類、衣服、雑貨等なんでもありました。



6日毎の市
ここは雑貨が多い








私はビデオカメラ、一眼レフ、チェキを携帯バックに入れ2時間ほど撮影を続けていました。主に民族衣装を着た、年配の女性ばかりでしたがそれほど嫌がらず被写体になってくれました。それにはやはりチェキの効果は絶大で、これで撮影してからは全てOKです。チェキで撮影して5分ほどで絵が出てきますがそれまではなかなかインスタント写真である事を理解してもらえず、その為に待っている時間もばかになりませんが、枚数が多くなると経済的にもはつらいものがあります。

市場から道路に出てみますと戛洒の花腰タイ族の特徴の笠が売られていました。ここの花腰タイ族の笠は円錐形で中心が尖っています。他の地方の花腰タイ族の笠は大きさも一回り大きく、全体が偏平で中心がほんの少し尖っているだけです。戛洒から南へ50Kmばかり行った漠沙の町ではこの普通の花腰タイ族の笠となっていますので 戛洒の尖った笠は珍しいと思います。笠だけで17元、ひもや飾り付きで50元、でした。






笠を眺めていますとT1さん,T2さんと去年 民族衣装を着て被写体になってくれたT3さんが3人でやってきました。私を探しに来たようです。
彼女達と少し市場を歩いてから、彼女達は民族衣装を着て被写体になってくれるようです。(モデルになってもらうお願いはしてありません)
T1さん,T3さんの家に付いて行きますと早速 民族衣装の着付けが始まります。母親か姉妹が着付けを手伝ってくれます。私は家の周りで近所の人と着付けが終わるまで待っていましたが、この近所の人も庶民的でホットするものがあります。日本と違い大概、幼い子供とその母親がいます。T3さんの家はT1さんの家の斜め隣だったようです。彼女の家にも行きましたらそのT3さんの家の隣の5つぐらいの女の子も民族衣装を着てくれています。モデルのお願いは全くしていないのですが 去年のYさんが写真のモデルをお願いしたので気を利かせてくれているのでしょう。本当に嬉しい事です。なんだか中国に来てこんなに親切にしてもらったのは初めてのような気分になってきました。いつも不愉快な思いがする中国旅行、耐える事が普通の中国でこんなに親切で思いやりの気持ちに出会って、この戛洒は日本以上に私の故郷であるように思えてきました。

しかしこの着付け時間が掛かります。結局1時間半ほどかかりました。その内にT2さんも着付けをしてやってきました。小姐が3人、小小姐が1人です。もう感激です。
彼女達と全員で元江の川縁りに向かいます。やはり私たち一行は目立つようで戛洒の若い男性が冷やかしてきます。それを無視して元江の川縁りに行き、再度、ビデオカメラ、一眼レフ、チェキで撮影を始めました。あっというまに ビデオテープ以外のフィルムを使いきり終了、やはり彼女達もチェキが嬉しいらしくリクエストが多いのですがこちらも限度があります。T3さんの隣の小小姐も嫌がらずについてきて可愛い姿をフィルムに残してくれました。愛くるしいというタイプではありませんが、しっかりものの小姐になりそうです。日本のこの歳の女の子でしたら何かしらのダダをこねるのでしょうがそんな事も無く静かに私たちの後についてくる姿が印象的でした。



写真撮影へ





元江と小姐




彼女達の民族衣装には必ず腰に小さな竹製のかごがありここにいろいろと小物を入れます。このかごに撮影して貰ったチェキを入れています。



元江と小姐




そろそろお昼ですから宏福飯店へ向かいます。
民族衣装を着たままの小姐4人と共にお昼を食べそれぞれ自宅へ。午後の1時から3時ぐらいはやはり1日の中で一番暑く、カーーーーンという暑さを感じます。私も招待所で一休み。

その後 去年の戛洒を訪れた時のホームページのコピーを持って、再度T2さんの家へ、行きました。彼女の家ばかりにいても迷惑ですので彼女とそのコピーのコピーをとりに戛洒旅社の2階の律師事務所へ(戛洒でも律師事務所があるのは驚きですが)ここにコピーの機械があるのですが 何故かBシリーズの紙しかなく、仕方なくB4でA4のコピーをしてもらいました。T2さんとここの老板が知り合いで0.6元/張に値切り2組ほどコピーをしました。100元。ここには中国語のワープロが置いてあるのですが ハードウエアはパソコンなのですがBASICで記述されているようで 単漢字変換のとってもレトロな代物でした。
ここの事務所には変なダンボールの箱が置いて一瞬目を疑いました。箱は松下通信のDVCPROのビデオカメラの箱だったのです。多分300-400万円はするでしょう。聞いたところ昆明から箱だけ持ってきたのだそうで、私がその時に携帯していた 松下のNV-DJ1と較べ、中国の放送機材の話題となりました。瀘沽湖のCCTVのデジタルベータカムといい、中国の放送機材に対する支出は驚くばかりです。

戛洒の滞在は明日までの予定でしたがあまりにも居心地が良いのでもう1泊延ばす事にし、昆明の旅行社に電話しました。すると私たちを送って昆明に帰ったはずのSさんは玉渓で車の不調の為そこに居残り、昆明から部品の到着を待ってその足で、戛洒に向かってくるそうです。昆明に戻れないようで御苦労様ですが仕方ありません。

一泊戛洒での滞在が延びますので戛洒の公安に報告に行く事にしました。派出所は所長が不在でしたので、メモを書いて残してきました。

この日に念願の民泊の日でT1さんの家へ泊まる事が出来ました。約束の夜の7時に彼女の家に行きますと、彼女が夕飯を作っています。彼女の母親は出かけたようで不在で父親と私の3人で夕食が始まりました。なんだかかなりのご馳走でした。随分迷惑を掛けているのではと思っていると 彼女が電話をしています。すると近所の家から私も顔見知りの人達が集まりだし、最後には10人以上の人が集まっていました。お酒も何本か空けかなり酔いが回ってしまいました。一体 何をしゃべったのか良く覚えていませんが10時過ぎまで続いたようです。



T1さんの居間




かなり飲み過ぎたので用意された2階の部屋まで階段をふらふらしながら登り、そのままバタンと朝まで寝てしまいました。気が付くと朝で あっと言う間の民泊終了です。まあトラブルも無く無事に済んでT1さんの家もほっとしたことでしょう。泊まった部屋は2階の一部屋で夜は思ったより暑くなく朝は気持ちの良い気温でした。雲南の朝はなかなかやってこないのか誰も起きてこないので勝手に招待所へ戻り(いざという為に招待所も確保してありました)8時過ぎに再度 挨拶に伺いました。
なんだか物足りません






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