■雲南 イ泰洒の町へ 新平県戛洒鎮
(3回目) その三







5日目 戛洒滞在3日目




戛洒の滞在も帰国の日程からこの日が最後です。戛洒の花腰タイ族は「イ泰洒」と呼ばれる支族という事が後で判ったのですがよく花腰タイ族として一般的に紹介される民族は「イ泰雅」と呼ばれる支族でした。この支族は戛洒から南へ50Kmほど行った漠沙の人々で9月に昆明に帰る時に通過した町です。(お祭りの花街節は農歴の1月の13,14,15日のようです。)ここへ戛洒から朝六時の公共汽車に乗って行って見る事にしました。

まだ真っ暗な中をバスは出発しましたが10分ほど走ると公安のチェックがありました。どうも荷物のチェックらしいのですがよくわかりません。2人の公安がバスに乗って来たのですが暗い車内で私を見て(外見からは外国人とは判らない姿でしたが)「ずーべんれん」と言っていましたので日本人の私が来ている事はすでに知っているようでした。(挨拶しに行けば当然ですが)
その後、山あいの道を2時間ほどして漠沙の町へ到着です。午前9時、丁度市場が賑やかな時間のようで混雑していました。しかしここのイ泰雅の民族衣装を着た女性が少なく一つの市場で数人程度の年配の女性がいるだけです。こちらのタイ族の女性は写真撮影を嫌がりませんので大変楽に撮影が出来ます。それでもチェキで最初に撮影してからポケットカメラを取り出して撮影していました。2時間ほど市場と、大通りを歩いて戛洒の町に戻りました。正午に戛洒に戻りました。



漠沙の市場にて





市場(野菜)





市場にて





漠沙の通り




昼食は宏福飯店にて一人で



宏福飯店の厨房






T1さんの家の前で








午後からは戛洒の本屋で購入した万年暦を見て、来年の花街節のお祭りの日時を調べ再訪を約束しました。明日は昆明に戻りますので早めに就寝、結局戛洒の毎日は早く寝て、早く起きて健康的でした。






6日目 戛洒から 昆明へ




戛洒ともお別れで 昆明に向かいます。米線を食べて朝6:10のバスで取りあえず新平県城へ向かいます。2時間で着くだろうと思っていたのですが乗ったバスの車体がかなりボロで結局3時間近くかかり9時前に新平県城に到着。
到着したバス站は場所が判らなかった3つ目の站で、丁度玉渓に行くバスがあったのですが車体がボロでした。そこで戛洒に来た時のバス站に行ってみましたら漠沙から玉渓行きのバスが停まっていてこれが車体の程度が良さそうなので その便で行く事にしました。
この便には車内の通路に多量のサトウキビが積まれていました。新平県城から出発するとどこかの公司の寮の庭にバスが入っていき、車の屋根に積まれていた荷物を降ろしてやっと本当に出発です。

帰りも4時間弱で玉渓に到着 午後1時ちょっと前に到着し、昆明行きの午後一時発の高速バスに乗る事が出来ました。無事、午後2時半に昆明の官渡広場近くの雲南旅游客運中心に到着、ここから市内バスでホテルへ。一晩200元、2つ星のホテルへ 花博も終わって部屋はあるようです。
遅い昼食はホテル前の小飯店で、ここはチャンーハン3元、耳うどん(騰衝名物?)が2元という極普通のお店でこのホテルに泊まる楽しみの一つです。

ホテルのロビーからいつもお世話になっている日本語ガイドのTさんに電話したところ丁度 昆明の空港から日本のお客を連れて麗江へ向かうそうでお願い出来ない事が判りました。彼の弟さんは暇なようで、昆明市内の面倒を見てもらう事にしました。彼は日本語が判りませんがそれでも充分です。
ホテルの前の屋台街でうろうろしていると弟さんが車でやってきて、この日の夕食はいつもの愛イ尼山庄へ行く事にしました。目当てはいつもの小姐です。30分ほどで愛イ尼山庄につきますといつも小姐がいました。彼女は来年3月には西双版納の生家に戻るそうです。
ここでタンリの花の民族料理をいただき、ご機嫌でホテルへ戻りました。

(玉渓から昆明の高速バスは朝の7時半から午後8時過ぎまで30分ごとに出ていて、行き先が雲南旅游客運中心か火車站前のどちらかに到着します。)






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