■貴州 苗族の村と雲南戛洒へ その三










9日目 昆明から戛洒へ






上海−昆明のK80は時間より10分遅れほどで午前11:10に昆明に到着、すぐ昆明汽車客運駅へ行き、玉渓行きの11:30発のボルボに乗車、出発時間間際でしたので車内でチケットは購入。
昆明は貴州と異なり暖かな気候で車内で2枚ほど着ていたものを脱ぎました。玉渓への道中は陽射しも強くホッとしたものを感じます。玉渓に近づくと高速道路の周辺は菜の花畑が見え、その黄色の花は私には雲南の花のように思えてきます。
貴州で熊さんにあれほどお世話になっのにやはり楽しさという面ではやはり雲南の方が開放的なものを感じます。貴州の「天に三日の晴れなく、地に三里の平野無し、民に三部の銀無し」という例えはやはり単なる旅行者にはツライものをもたらします。そういった中でも苗族の人々の人情は忘れ得ぬものがありますが一端、雲南にやってくるとそんな事も忘れて雲南の開放的な明るさ、楽しさは魅力的です。

ボルボは玉渓のいつもの汽車中心駅へ到着、横着にもすぐ近くの城西客運站へタクシーで。5元
ここで丁度、13:10発の新平行きに乗れました。昼食無しでしたのでパンを買って車内で、また出発間際に計り売りで苺を売っている人がいて1斤2元で購入、「綺麗?」と聞いて綺麗とのことでそのまま車内で美味しく食べました。(お腹は無事でした。)
この区間の公共汽車料金は以前は高速道路代金が別集金でしたが今回は初から入っていましたがついでに値上げになっていました。戛洒でも来る度に1元程度づつ値上げされています。

マイクロバス(中巴)は玉渓から玉元高速に入ります。両脇の畑はやはり菜の花が咲いています。俄山で高速道路を下り乗降客が乗り降りし再度、玉元高速へ入ります。乗っていた公共汽車はかなり古い車体で高速道路でも登り坂はやっとの事で登っていきます。いつもの事ですがこの時の振動音がかなりしますのでティシュを耳に入れて防音をしてしまいます。これで旅の疲労もかなり軽減します。
公共汽車が化念鎮にまできますとインターを下りようとします。こんな所で降りては後が長いと心配しますと、公共汽車は料金所の手前100メートルぐらいの所で停車しました。そして老人が降りて公共汽車の天井に乗せてあった荷物を降ろしていきました。
そして公共汽車はその地点で料金所から高速道路に侵入する道路に入って行き(入って行ける構造です)そのまま高速道路を進み始めました。ホッ
公共汽車の運転手はどのインターの構造も熟知しているのでしょう。中国らしいものを見たように思います。

公共汽車は時間どうりに大関門から工事中の道路を走って新平県城へ。ここで3時半の戛洒行きが丁度ありましたのでこれにすぐに乗って戛洒へ出発です。昆明からほとんど無駄時間がありません。中国でこんなに時間通りに行くのは何か気持ちの悪いものですが快適です。

公共汽車は強い斜めの太陽の光の中を西へ向かって出発しました。
今回も偶然一番前の右側に座る事が出来 車内からビデオカメラで車外の風景を撮影する事が出来ました。
この新平県城から戛洒までの車内はいつも車内がなごやかで楽しい雰囲気が感じられます。凱里で買ってきた1箱5角、1元という安タバコが沢山ありましたのでこれをザックから取り出して車内で配ってしまいました。貴州の安物と私が言ってもそのまま受け取ってくれます。(貰った人達はそんな安物は吸っていないのですが。)

私の後ろに農家のお爺さんがビールを飲みながら酔って乗っていました。このお爺さん酔っているせいかたまに変な声を出しています。他のお客さんは困ったなーと笑っています。お爺さん、バスの中でビール瓶をそのまま飲んでいたのですがバスが揺れてそのビール瓶を落としてしまいました。バスの中はビールの飛沫が飛んできます。それでも大笑い。
その内 そのお爺さん、お腹が痛いと言い出したらしくバスが止まり、お爺さんは道路に降りて籔にしゃがみこんでいます。さすがに5分ぐらい経過すると、運転手も待ちくたびれてきたのか大声で「早くーーーーー」と言っているようです。
そのうち やっとお爺さんがバスに戻ってきて出発

公共汽車は元江を越えて砂利道の区間に入ります。ここから戛洒までは現在舗装の為の工事が進んでいて舗装はまだですが道路の両脇の土止めも終わりいよいよ舗装もすぐという感じです。そんなせいか時間より少し早く戛洒に到着です。戛洒の手前数Kmは棚田が広がり、丁度田植えのシーズンで花腰タイ族の女性が民族衣装を着て田圃に出ていました。今回は絵になる写真が撮れそうです。

公共汽車はまっすぐ運政招待所に到着です。公共汽車から降り、招待所のカウンターで前回元江で写真を撮った小姐に再会して、その時の写真を今回持ってきていない事を詫びました。本当にごめんなさい。必ずこの次に持ってくるからねと言い訳をして部屋の鍵をもらい一段落です。

今回は3泊で滞在が72時間以下ですので公安への挨拶は必要ありません。
早速T1さんの家に行きましたが不在、T2さんも不在でした。どちらも家人に挨拶をして帰りました。やはり戛洒の賭博場で深夜まで働いているようです。
宏福飯店で夕食を食べ寝てしまいました。

やはり戛洒へ来るとホッとします。今回で8回目の戛洒です。











9日目 戛洒滞在 1日目




この日は丁度 1の付く日で戛洒街(市場)の日です。1月の雲南は朝が明けるのが遅く7時半頃にならないと明けません。7時過ぎに戛洒街の場所を少し歩き、ミカンと豚肉を2軒分仕入れてT1,T2さん宅へ。
ミカンは1斤1元から1.5元、豚肉が1斤4から5元程度、高くは無いのですがぶら下げて持って歩くのが大変です。

この頃になるとT1,T2さんも起きてきて洗顔をしてます。戛洒の多くの人もこの頃はやはり8時頃起きるようです。
この時期 雲南も一番寒い季節のようで、私には日本より暖かいと感じるのですが戛洒の人達は厚着をしていて、T2さんのお兄さんの2才になる子供は頭にフードのついたものを着ています。雪が降ったり氷が張るという事もありませんがそれでも 寒そうにしています。

昼食はT2さんの家でT1さんと共に、その後2人と共に戛洒街へ、その後2人は賭博場へ出勤です。1ケ月300元という事です。あと戛洒の働き口は戛洒の製紙工場ぐらいです。こちらは3交代でやはり300元ぐらいの月給です。ただしこちらは社員住宅がありますので条件はこちらの方がずっと良いと思います。(T3さんの職場です)

午後からはT2さんの叔父さんのお嫁さんの実家を訪れます。元江沿いの村で12月に訪れて花腰タイ族の腰帯を分けていただいたのですがお礼の額が少なかったのでお詫びに行きました。この村へ歩いて行きますと 道路の両脇で稲の苗床から苗を抜いて田植えの準備です。まるで写真に撮ってほしいというばかりの風景で、写真撮影をしました。その先では食べるための太めのサトウキビを刈り取っていてそこでも写真を撮っていますとホラ食べろと1本持ってきます。戛洒のサトウキビは冬でも甘くて美味しいのですが繊維が歯にはさまって、酷い時には歯茎から血が出てきてしまいますのでこの頃 ご遠慮してます。T2さんのお兄さんの2才の子供は元気に食べてますが。

村に着くと前回いらしたお姉さんがいてお詫びを言ってお礼を渡したのですがなんだか話が変です。その内に本当のお姉さんが帰ってきました。二人は双子でした。結婚式の時に聞いていたのですが忘れていました。お嫁さんの方は鼻の下に大きなホクロがあるので区別するのは簡単でした。
この時期 田植えの為に叔父さんのお嫁さんは実家に戻っていたようです。お二人共、稲の苗を天秤棒に担いで忙しそうにしていましたので早々に引き上げました。
私は元江沿いの小道で戛洒の街中に戻りましたが、この小道の途中に最初に戛洒を訪れた時にT1さん,T3さんと共に写真を撮った場所があります。

夕飯はT1さんの家に呼ばれていましたがT1さん自身は仕事に出ていてT1さんのお父さんとお母さんにお世話になるという事で恐縮してしまいます。ご両親とも田圃で田植えの後に御厄介になるわけです。夕方、小売店でビールの品定めをしているとT1さんのお父さんが田圃で使ったスキを担いで私を家に誘うのです。なんだか申し訳なくて・・・
家に行ってみるとT1さんが帰ってました。「歯が痛いから帰ってきた」との事!
申し訳ないと思いつつ お姉さんと共に4人で夕食です。この日ほどお世話になっているなーと実感した日はありません。ご馳走様でした。T1さんは再度仕事場へ

11時頃 T1さん、T2さんの働いている場所へ行ってみますと丁度 仕事が終わったところでみんなで夜食?を食べに行く事になりました。するとT3さんのご主人にばったりでした。・・・・・










10日目 戛洒2日目




朝 7時頃 目が覚め、包子で朝食です。2元、戛洒で包子を食べられるのは1ケ所だけのようです。その後、T1さんの家にいますとCCTVで日中戦争の映画をやっていましたが日本鬼子が出てきます。長城近くの農家に日本軍が侵入して赤子を生きたまま石臼でひいてしまう場面があり、日本の侵略という現実については肯定している私でもショックで見ている事が出来ず、T1さんの家を後にしてしまいました。なにもあそこまで表現する必要があるのでしょうか?

その後 町中をうろうろしてからT2さんの家に行きましたらT1さんがやってきてしきりに謝るのです。彼女の責任では無いのですが優しさを感じます。
そんなせいなのか3人でお昼を食べに行こうという事になり町中の小飯店へ。本来なら仕事へ行く時間なのですが遅刻するつもりのようです。そこは入口があまり大きくなく今まで行った事が無いお店ですがT1さん,T2さんとは親しいようです。この場所はT1さん,T2さんの仕事場の真向かいです。昼食後2人は目の前の仕事場へ。この賭博場で働かせたくはありませんが 私は基本的には他人ですから・・・・

午後からは軽のワンボックスカーをチャーターして戛洒から少し離れた場所に行ってみようという事で招待所の小姐を誘って出かける事にしました。私は田植えの様子でも撮影しようという積もりでしたが いつのまにか車は前日訪れた村の一つ先の村「大梹榔園」という村に入っていきました。この場所は前日 元江に外国人も訪れて踊りがあると聞いていました。それを知っている招待所の小姐が気を利かせて連れてきてくれたのでしょう。T2さんの家の前でこの「催し」の計画図を偶然見る事が出来たのを思い出しました。

この村ではこの催しの為の準備で忙しく働いていて、元江へ流れ込む支流沿いに東屋を作り、川沿い掃除をしていました。元江沿いまで歩いて行くと広場からドラの音が聞こえてきます。花腰タイ族の地味な方の民族衣装を着た若い女性が20人ほど、黒い地味な花腰タイ族の若い男性も同じくらいの人数がいました。そこで花腰タイの民歌に振り付けられた踊りと西双版納のタイ族の踊りが加わって2サイクル、2時間ほど練習が続きました。

この練習の面倒を見ているのが戛洒中学の女性の先生で、この先生が練習の出席をとっていました。練習も最後の方はかなり熱心に行われていました。今後が楽しみです。
花腰タイ族の踊りは一般に隣の漠沙鎮が有名ですがこちらの戛洒は花腰タイ族としては支系としては異なり泰洒という支系にあたり余り有名ではありません。半年ほど前から戛洒鎮政府も観光に力を入れ始めたようでパンフレットが出来てきていましたので そういった流れで今回の催しになったのだと思います。

今後 戛洒に再び訪れる事になると思いますので中学の先生に頼んできちんと見せてもらうつもりです。こういった観光化に批判的な方もいると思いますが 大理の白族の民族衣装も観光用の民族衣装だそうでそれを聞いた時はびっくりでしたが、こちらの観光化もその事によって多少、民族としての質が変容してしまうかもしれませんが 6時間で昆明まで行けるようになっても 花腰タイ族のアイデンティティーがこのような形で残る事は無くなってしまうよりは良いと思います。現状では年配者のみが民族衣装を着用していて、もうT1さん,T2さん,T3さんの3人とも結婚式ぐらいしか民族衣装を着用しません。

勝手な願いですがこの戛洒の大梹榔園に民泊してこの元江沿いの生活を体験してこの花腰タイ族の観光「歓迎式」が見られるようになればと思います。本当に期待します。
でもあまり観光化してしまってどこかのように外国人が近づくと「要不要?」などと聞いてくる観光地だけはなって欲しくないと思います。

練習も後半になると地元のオエライさんがやって来て見学してます。その人達が帰ると その次に、いつもの公安の所長が別のオエライさんを連れてきました。やはりこの催しは戛洒にとって一大イベントなのでしょう。

招待所の小姐も仕事の時間がありますので私がビデオカメラを回していましたのでチャーターした車を使って別の小姐と交代です。
練習終了後、花腰タイ族の小姐を写真撮影してこちらも引き上げです。

夜T1さん、T2さんの仕事場に行き、お世話になったお礼を言い2日間の戛洒が終わってしまいました。










11日目 戛洒から昆明へ




たった2日間の戛洒が終わりいつものように朝6時40分の新平県城行きの公共汽車で出発です。以後 昆明までいつもと同じなので省略します。

昆明の宿はいつも茶花賓館なのでノウが無いので今回は駅前の三葉飯店に泊まろうとして行ってみましたら120元、押金200元との事で押金が高いのは中国人宿泊者が多いからだと思いますが押金の返却でトラブルが起こる可能性が高そうなのでやはり茶花賓館にしようと道路まで出てきました。するとどこかの旅行社の人間がやってきて70元でどうかと言ってきました。
それならと思い再度の旅行社の人間と行ってみましたら70元で良いとの事、しかし押金はやはり200元でしたので、止める事にしました。特に押金の返却に偽札を渡されるケースを2度ほど経験してますのでトラブルは避けたいと思います。

結局、タクシーで茶花賓館へ。ここの料金は今まで段々下がってきていたのですが今回は値引き要求したわけでもないのに100元、押金50元でした。やはりこちらの方が安心です。
部屋は3階の一番奥の部屋であまり綺麗ではありませんがこんなものでしょう。お湯とバスタブがあるだけでも嬉しいものです。

その後 北京路と東風東路の交差点にある中国電信に行きインターネットを使用したいと思ったのですが担当の小姐にペラペラと中国語と喋られ、こちらは全く聞き取れず断念、近日公園前の百貨店に行き、中国製のカメラを覗いて茶花賓館へ戻りました。茶花賓館の前を歩いていますと友人街餐庁のチラシをもらいました。どこかなと思って見ると茶花賓館のすぐ左の建物の2階でした。

友人街餐庁に行ってみますと何か注文すると30分インターネットが無料で3台あるマシンは日本語表示が可能で、1台はグローバルIMEが入っていましたが先客がいました。
大理ビールの高アルコール版10.5度−4.5元を初めて飲みました。美味しいのですがやはり海外では安全の為にあまり強いものは飲み過ぎると危険かもしれません。(戛洒は除く)

茶花賓館でテレビを見てますとこの時期になると春節の番組が終わりやっと通常の番組になりました。それまではいつもの走編雲南が無く、雲南各地の観光ガイドが流されていました。現在 走編雲南は日曜日も含む毎日の朝6時39分、再放送が夜9時47分です。








12日目 日本へ






やっと明るくなった8時頃、茶花賓館から5番のバスで終点の6路車場へ。ここから金殿へ向かうバスに乗ってみたのですが途中、交三橋で新華書店を見つけ急いで降りました。こんなに近くに大きな書店があるのに今まで気がつきませんでした。何度も隣の中国銀行で両替していたのに。
ここで地図売場に行きましたら分省地図冊で福建、四川、浙江、河南、河北、江蘇、山東の地図冊をゲット、それについでに成都市も
少しずつですが分省地図も段々と細かい縮尺になってきているようです。

その後タクシーで昨日の近日公園の百貨店へ、ここで一眼レフ用のストロボを購入52元也、今は一番簡単なただ光るだけのストロボは日本で購入すると中国の10倍ぐらいの価格がします。
フェニックスブランドの一眼レフで初めての自動露出のカメラがありましたので触らせてもらい購入を迷ったのですがまた次回という事で諦めました。シーガルの自動露出のDF300よりも良さそうです。

その後 省体育館(茶花賓館前)に戻り実験飯店で「アース」を頼んだのですがどうも同じ あーす でもいろいろあるようで普通の麺のようなものが出てきてしまいました。以前食べた水気の無いお皿に載ったものは何というのでしょうか?

その後、友人街餐庁に行ってみますとグローバルIMEが入っているマシンが空いてましたのでこちらに日本語で書き込みが出来ました。
その内にとなりで日本語が聞こえてきました。女の子のなのですがHOTMAILと言っているのですがURLを知らないようです。関西の女の子達で船で来て大理・麗江へ行くのだそうです。

茶花賓館でザックを受け取りバスで帰ろうとしましたら携帯電話のカードによる料金のチャージが必要だという事に気が付き 携帯の販売店を探して100元分を入れてもらいました。その後バスで飛行場へ


バスは2時間ほど前に飛行場に到着、JASの飛行機は帰りは時間が短いせいか、飲み物のサービスが特に無くなり、夕飯と飲み物が一緒になってしまいました。サービス低下です。帰りの便は80%ぐらいの搭乗率でした。
関西空港では以前中国で買った10元の万能ナイフが見つかり面倒なので放棄しました。この万能ナイフですが羽田では安全検査の台の所に刃渡りの長さを計る所があって一定の長さまではOKだったので安心していたのですが関西の国内線は刃があるものは全部駄目という事です。その対応の非一貫性については納得出来ませんが、羽田の対応について関西の現場の人は知らないようでした。

羽田から東京モノレールは飛行機を降りて走ってやっと終電に間に合うぐらいで荷物を預けている人は終電には間に合いません。関東在住の人は\1,000で関空のJASのカウンターで宅配出来ますので送ってしまえば、なんとか東京モノレールの終電に間に合うと思います。

この日、昆明の近日公園脇の百貨店の新楼で爆弾騒ぎが午後3時半頃にあったようです。私は12時ごろまでは旧楼の方にいました。



旅行費用
 飛行機 \61,000
 鉄道 硬臥寝台 (201元+手数料30元)X2
 黔東南CITS  算出出来ず
 昆明 茶花賓館100元






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