■日中混成−徳宏へ その二






4日目 戛洒滞在初日





いよいよ一家での戛洒滞在が始まります。
まず戛洒の毎日開いている市場へ出かけてみます。まだ7時過ぎでやっと明るくなった時間ですが市場はもう始まっています。私の子供はまだ寝てますので配偶者と出かけました。戛洒の市場は1年を通してほぼ同じ食材が豊富に並んでいて現金収入は少ないこの地域でも食材の豊富さを感じさせます。

一端 招待所に戻り 近くの三老表餐店で私がいつも頼んで作ってもらっている辛くない米線を3人で食べ、公安の派出所と中学校に向かいます。
公安の派出所には、住宿登記の為で丁度 所長がいて私たち三人のパスポートを控えていました。この時、この派出所の部屋の入口に手錠を掛けられた人が座っていました。何をしたのでしょうか
その派出所から少し坂道を上がると小、中学校があり、1月の末に訪れた時に元江の河畔にある大賓榔園という村で花街節(お祭り)の踊りの練習の指導をしていた老師、刀亜飛さんがおられるはずなので訪れました。もし可能なら私たち家族の為にその踊りをして欲しいとお願いするつもりです。丁度この日は日曜日でしたが刀老師は中学校の中の寮に住んでいるという事でお会いする事が出来ました。しかしお会いしてびっくりでお腹に赤ちゃんがいてもう大賓榔園には行けず、今は踊り手も不在との事で私たち家族の為の踊りは断念するしかありませんでした。

昼食は昨夜の食堂へ。子供はなかなか中国のご飯が会わないようで毎日 スプライトと炒飯をメインに食べていました。この後十数日も同じような食事でよく持ったものです。

戛洒も まだ雨期には早いようで3月でもお昼過ぎはかなり暑くなり3時ごろまで招待所でエアコンを効かせて昼寝です。
午後4時は踊りを見る事が出来なくなった大賓榔園へ 戛洒の小姐3人と共に行って見る事にしました。いつもはT1さん,T2さんだけなのですが今は砂糖きびの収穫量が落ちる季節の為、工場に行っていないT3さんも一緒です。
大賓榔園は元江の河畔の村落で今年から毎年 お祭りのメイン会場になるようで少しずつ整備され始めました。1月に行った時に無かった舞台も完成しており元江と花腰タイ族の風情を感じる事が出来る村です。元江の河原には路地で西瓜が作られていました。戛洒の街では西双版納の西瓜が売られていて食べてみましたが やはり糖度が低くミネラルウォーターよりは良いのですが1ケ10元程度にしては高いように思います。

大賓榔園から元江に沿って歩き元江の河畔を隣の曼秀老寨まで歩き、十一月に元江の河原で写真撮影をした小姐の家に向かいました。その時の写真をお土産に持って来ていました。彼女は家ではなく村の真ん中にある水くみ場で髪の毛を洗っていました。彼女とは同行した全員が顔見知りですので彼女の家に行ってみます。この曼秀老寨は私が戛洒で一番気に入っている村で昔のたたずまいをそのまま保っている所です。
この家で休憩し、今度はここの小姐(T4さんとします)と全員でT2さんの家へ戻りました。夕食はT2さんの家で全員でという事になり午後6時頃 T2さんの家を訪れT1さん−T4さんとこちらの家族で夕食です。

この日以後もT2さん宅、T3さん宅に夕食を呼ばれ 楽しい夕食が続きました。










5日目 戛洒滞在二日目 湯鍋 




この日は戛洒街(*1)の日で大きな市の日です。7時に配偶者と取りあえず市場へいってみますが既に始まっていました。T1さんの家族の湯鍋のお店も準備が進んでいます。朝の米線を食べて 招待所に帰ろうとすると戛洒のバス駅が引っ越ししていたのに気が付きました。それに伴い時刻表も新しくなっていました。
夕食はT3さんの家に呼ばれていますので食材を調達して予め届けておきます。
招待所に戻り、子供を連れて三人で再度 市場とT1さんの湯鍋(*2)の店を周ります。この日は戛洒の女性が作っている竹細工が売られています。小さな竹の篭をお土産に購入しました。既にT3さんからもいただいていて今回はお土産も増えそうです。

昼頃になるとT1さんの湯鍋のお店で昼食です。そこで牛の内臓料理をつついていますとT1さんの男朋友やその同僚の公安がやってきました。公安とテーブルを一緒にするのはなんとなく抵抗がありますが 結局、私と公安で戛洒の農家酒を飲んでしまいその公安に招待所まで送ってもらうハメとなっとしまいました。後で家族から叱られました。

結局アルコールの為に午後6時すぎまで寝てしまい T3さんの家に呼ばれていたのですが少しだけお邪魔して戻ってきてしまいました。その為 後でT3さんにもう一度、招待していただく事になってしまいました。
中国でこんなに飲んだのは初めてです。



(*1)戛洒街
   カレンダーの1と6の付く日に戛洒鎮の大きな2つの市場を使って行われる市。雲南の町々ではこうして何日か毎に市が開かれています。戛洒は昔からこの市で成り立っている街ですので近隣の中では特に大きな市が立ちます。近隣の村々からも沢山の人が集まってきます。誰でも市場に露店を出せますが2元程度の場所代を戛洒の税務署員に支払うようです。

(*2)湯鍋
   雲南の田舎町にある牛の臓物料理の事。新平県の湯鍋には良く行っていますが話では西双版納にもあるとの事。人の集まる所に大きなカマドに大鍋をかけて牛の臓物を煮込みます。かなりグロテスクですが細かくしてお碗に入れて出てきます。
この湯鍋店は市の立つ場所やお祭りの時に営業していてカマドや屋根などは恒久的なものやホッ立て小屋のようなものもあります。いつもお世話になっているT1さんの家にはこの湯鍋店の営業許可書が壁に掛けてあります。







6日目 戛洒滞在三日目 耀南村へ





招待所の1階で自動車の修理をしている青年の実家−耀南村には既に3回ほどお邪魔しているのですがこの山の家に行くのはいつも楽しみにしています。今回も家族とT1さん、T2さん、T3さん、青年で軽自動車のワンボックスカー(面包)にすし詰め状態で山の村に向かいました。
運転手はこの青年の知り合いで前回もお願いした人でした。中国で車を頼む場合、良い車両と運転手を同時にお願いする事が出来ればその旅行はもう成功したと同じだと思いますが、車両はともかく戛洒の狭い空間の中で知り合いの運転手となればトラブルはまず起きません。

南恩滝で休憩し、耀南村に2時間ほどで到着です。乾期の為 道路の状態も良くガタガタと車は揺れますがトラブルも無く青年の実家の近くまで車で行く事が出来ました。青年の実家では去年3月に結婚した青年の兄とその奥さんに初めて会うことが出来ました。山の村は以前と変わらず時間があればゆっくりしたいのですが 今回は何故か同行者全員があまり家の周りを歩かないようで私の家族も家にいるだけでした。

ここの家のオバアチャンも相変わらず元気で全員の昼食を作ってくれました。作ってくれるものはやはり塩辛い味付けのものが多いのですが それでも素朴な味でかなりのペースでみんなのお腹に消えていきました。

2時過ぎに山の家を後にして耀南村の村役場と小学校へ行き休憩です。この時 子供は南恩滝の近くで休憩した時に道路沿いの岩に頭をぶつけ皮膚が切れてしまって出血していましたがこの村役場の中の診療所で手当をしてもらいました。綺麗にして消毒してもらったのですが診療費は無料という事でした。申し訳ないので、日本の5円玉を記念に50枚ほど置いてきました。村の人も風邪で点滴をしてもらっていました。中国では日本よりはるかに容易に点滴が行われているようです。その後 小学校に移動し校庭で休憩です。子供は小学校の校舎に入って各教室を見て廻っていました。クラスは各学年1クラスで先生はほとんど20才台の人が多く私たちが校舎の周りにいると誰が先生かは良くわかりません。

耀南村から20Kmほどの距離を降り、一端 隣の水塘の街へ向かいます。特別何かあるわけではありませんが折角来たのですからちょっと寄ってみました。
ここにも湯鍋のお店があります。
5時過ぎに戛洒に戻ります。この日の夕食はT3さんの家に昨日の事もあり再度招待されました。この席にはT3さんのご主人(彝族)も一緒でした。


1日の車のチャーター代150元








7日目 戛洒滞在四日目 漠沙へ






この日も昨日の軽のワンボックスカーで南へ40Kmほど行った所にある漠沙の街へみんなで行ってみます。この日は耀南村の青年が乗っていないので車の中は多少余裕がありました。軽のワンボックスカーに8人はつらいものが有りました。

隣の腰街を過ぎ漠沙への三叉路を過ぎると曼蚌です。ここの道路も戛洒の道路と同じく改修工事が進んでいてホコリだらけでした。この曼蚌では丁度 市が開かれていたので寄ってみました。市の隣には曼蚌の小学校があり全児童で校庭で体操をしていました。勝手に校庭に入ってこちらもビデオに撮っておりました。
この日は休みの日だったのでしょうか体操が終わったら下校でした。午前9時半

暫くすると魚塘です。ここは去年 道路に立っていた小姐と出会い写真を撮らせてもらった場所です。
魚塘から漠沙は道路の改修がかなり進み 舗装も始まっていました。戛洒から2時間ほどで漠沙に到着です。
しかし今回はいつもの市場が がらがらで全く人がいません。すると運転手が市の立っている場所を聞いてくれました。漠沙の南隣の曼勤村で開かれているという事です。

15分ほどで2つに別れている漠沙の街を抜け田園地帯の中にある曼勤村の市にやってきました。かなりの人出です。戛洒の市は近隣では一番大きいので較べられませんがここもかなり賑わっていました。整備されていない竹林の合間に屋台の雑貨屋、野菜、肉類、衣類が売られています。一番奥に池と藁葺きの食堂がありここで昼食という事になりました。
藁葺きの簡単な家の2階で待っていますと、戛洒の3人娘が全部手配してくれました。旅行中の食事については いつもこちらの希望を聞いてあとは面倒を見て貰っていました。食べ終わってから出てきたメニューのチェックをしてくれますのでかなり安く上がっていました。徳宏の旅行も含めて数人で30から60元ぐらいの費用だったと思います。

ここ曼勤村は漠沙鎮から南へ数Kmの所で元江沿いの村です。元江までは数Kmほどの距離があり、元江の街へ行く幹線道路が走っていてその道路沿いに家が立っています。花腰タイの典型的?な田園風景で時たま年配の婦人が頭に平らな花腰イ泰族でもタイヤと呼ばれる支族の特徴ある竹製の傘を着けて歩いています。
この民族衣装を着ている人自体がもう50才以上の年配のみで若い人は普段全く着ていません。この民族衣装は若い人が着ると素晴らしいのですがもう祭事以外は年配者のみとなっています。

暫くこの干街の中をぶらぶらしてから更に南にある土林へ向かいます。ここは土が雨で浸食され土柱となっている場所でそれほど広い面積ではありません。行ってみますと土林の間は水田となっていて土林と緑の水田が一緒になった景色はなかなかのものです。この頃になると陽射しも強く戛洒の小姐達は日傘をさしていました。この小姐達 家は農家なのですがあんまり野良仕事はしていないようです。

午後3時過ぎに戛洒に戻りました。この日も車のチャーター代150元
漠沙鎮曼勤村は全員初めての場所で、T3さんは漠沙鎮が初めてだったそうです。

招待所で休憩後 近くの冷飲所でレモン水を飲む、2元、これが戛洒の最高級冷飲でその他のものは1元か1.5元です。この辺りの街では冷飲所がある街は落ちついて良いイメージの街である事が多いようです。徳宏でもそんな感じを受けました。
暇な時は冷飲所でジュース(100%ではありません 砂糖の入った甘いものです)かビールを飲んでいるとホットします。








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