■日中混成−徳宏へ その三







8日目 戛洒滞在五日目







この日は大賓榔園で花腰タイ族の踊りをと思っていたのですが残念ながら果たせず予定無しとなりました。朝は三老表飯店で家族3人で米線を食べいつもの戛洒の市場を散策し、その後、それではという事で、T2さんの家に行き戛洒の花腰タイ族の民族衣装を着てもらう事にしました。快く引き受けてくれた彼女は早速 母親と間借りしている漢族のオバサンに手伝ってもらって1時間ほど掛けて着てくれました。

この着付けですが何度か見ていますが頭に乗せるこの戛洒独特の傘を乗せるまでが大変で頭と傘の間にいろいろな物を挟んでいきますのでその為の時間がかなり掛かります。

着付けが終わると折角という事で彼女に今回お土産に持ってきた私が使っていた8ミリビデオカメラも出してもらって配偶者に撮ってもらいました。まず花腰タイの腰帯を織る 機織り機に座っている所を撮影しました。すると間借りしている漢族のオバサンの娘がやってきてビデオやカメラに映りたがって困りました。やはり自己顕示欲は漢族の方が強いのでしょう

その後 T2さんは民族衣装を着たままナタを持って自分の家の砂糖きびの畑へ向かいます。歩いて2分ほどの距離ですが 緑と赤をベースにしたハレの日用の民族衣装で野良仕事を見るのは感動するものがあります。(一般的には野良仕事には紺をベースにした昔ながらの地味な民族衣装でするのが普通です)
T2さんの家の砂糖きび畑にはもう砂糖きびが残り少なく数十本ほどしか残っていません。この季節 砂糖きびの出荷が減っているようで砂糖きびの製紙工場の操業もそれほどでは無く、そこで働くT3さんも時間があるようで今回の家族での戛洒訪問には随分と付き合ってくれました。
ハレの日用の民族衣装で砂糖きびを刈り取るT2さんをビデオを納め、彼女が小脇に数本の砂糖きびを抱えて家に帰ります。砂糖きびの葉の緑、民族衣装の緑と赤が雲南の明るい陽射しの中で映えていました。家に帰る民族衣装を着たT2さんの後を追いながら とてもシアワセを感じました。(でも同行した家族はこの気持ちを判ってくれたでしょうか)

T2さんの家でT2さんは傘と一番上の民族衣装を取ってナタで砂糖きびの皮を剥いでくれます。いつもこうしてすぐ食べられるようにして渡してくれます。この頃はこれでも歯茎から出血してしまうので私はご遠慮していたのですが配偶者はガリガリとやっています。彼女にはこの戛洒の砂糖きびの甘さは初めてだったようで 結局貰った1本は全て平らげてしまいました。平らげると言ってもしゃぶった繊維質は口からプッと出すわけで、砂糖きびを食べた後はその繊維が地面に落ちてますからすぐにわかります。

この頃は砂糖きびの出荷も減っているそうで 安い時と較べて3倍ぐらいの価格だそうです。T2さんの家の前ではT2さんが皮を剥いでくれた砂糖きびをかじっている近所の子供達が数人、のどかな1日かもしれません。


お昼過ぎにT1さんの家の前を通りかかると家の前のコンクリートの通路にある小さな穴に棒を挿して花腰タイ族の腰帯を織る為の縦糸を揃えていました。数メートル離れた2つの棒に腰帯の長さの糸を縦糸分巻き付けています。これだけでもかなりの時間がかかりそうです。ハレの日の民族衣装は工場製の布地を使いますが、旧来の紺をベースにしたものは布地から全て手織で「手間」という観点からはより貴重と思います。その紺をベースにした布地はこのT1さんの家の前で植物の根を使って以前 染色していました。

その後 新しい戛洒の公共汽車站の前を歩いていますと小姐が寄ってきます、魚塘の小姐です。たしか広西チワン族自治区へ行ってはずですが戛洒に来ていました。魚塘の家に呼ばれたのですがこちらも家族連れで自由に動けません。残念です。

さて 明日からの徳宏州への旅行ですが私の家族は3人で後はT1さんとT2さんを予定していました。しかし湯鍋の日にT1さんからT3さんも連れていって欲しいとの申し出があったのですが断ってしまいました。というのも徳宏州へ行った場合 人数が多くなると車の手配が大変になりそうで、そもそも当初の予定の5人ですら大変ではないかと思われます。多分 人数が多くなるとチャーター(包車)ではワンボックスカーが必要になってくると思うのですが現地では突然頼めないと思います。軽自動車ではない9人乗り程度のワンボックスカーは台数が限られていますのでどこかの旅行社にツアーの形で頼まないと無理のようです。そうなると金額的にとても賄いきれません。

街と街を公共汽車で、1ケ所の観光をタクシーを1日チャーターするつもりなので人数が増えるのは困りものです。といった事を考えて5人が限度と思っていました。しかしそんな複雑な事は説明が出来ないので「今 日本円が安くて1元が15円だから ごめんね」と言っておきましたら 納得してくれました。やはり国民性の違いか、「一応希望は言ってみるが駄目だったら諦める」という国民性なのでしょう。
実際に上記のスタイルで移動と観光をしましたが5人でもつらいものがありました。やはり4人まででしたら 普通のタクシーをチャーターできます。

私たち日本人は雲南省の国境地帯に入る場合パスポートがあればチェックポイントを通過出来ますが元々 国境地帯に住んでいない雲南人は「辺境通行証」が必要と雲南の中国人向けのガイドブックに書かれていますし、昆明から出る中国人向けツアーのパンフレットにもその旨が書かれています。心配ですのでT1さん、T2さんに「辺境通行証」の入手をお願いしておきましたら出発ギリギリになって戛洒の派出所で作成してもらう事が出来ました。4元







9日目 戛洒から昆明 騰沖へ






私たち家族とT1さん、T2さんの5人は戛洒から大紅山から玉渓行きの朝6:20の公共汽車に乗って出発です。まだ真っ暗な中を出発しました。この公共汽車、車体が新平−戛洒のものより程度が良く快調に新平に向かいます。T1さん,T2さんの荷物は小さなバックが一つづつです。9日間の旅行にしては小量です。

9時過ぎに新平県城の公共汽車站に到着ですが玉渓行きの為、乗り降りする人がほとんどいません。すぐに出発して玉渓に向かいます。玉元高速を化念から入り、玉渓のインターで高速から出ました。しかし出た途端いつもの一般道が公安によって閉鎖されていて一端 玉渓の街から西へ向かい10Kmほど遠回りをして玉渓の汽車中心站へ到着しました。

戛洒の小姐は以前から過橋米線を食べた事が無いという事でしたので玉渓の過橋米線のお店にタクシーで向かいました。しかし行ってみるとお店がありません。歩いて探して見たのですが他には探せず結局 お昼は快餐で済ませてしまいました。(後でお腹が緩くなりました)

玉渓の汽車中心站から大宇で昆明へ、この時に乗ったのは官渡広場の雲南旅游客運中心へ向かうものでした。1時間で到着、タクシーでいつもの昆明汽車客運站へ
この昆明汽車客運站は昆明最大の汽車站ですが現在 改修工事中で建物は使えず、汽車乗り場は西側に押しやられていてかなり混乱しています。
私たちが乗ろうと予定していたのは夜7時発の騰沖行きの寝台バスです。すぐにこのバスは見つかり切符を購入しました。しかし当初の予定と異なり155元もしました。何故こんなに高いかは不明でしたが バス内はまあまあの綺麗さで去年の緑春行きの汚さ、異様な臭いはありません。

まだ出発時間まで4時間ほどありましたので荷物をバスの中に預けて私たちは再度 昆明の町中へ向かいます。まず帰りの芒市から昆明までの航空券を購入に行きます。タクシー2台に乗って民航の切符売り場へと言ったのが良くなったようで2人の運転手は小さな一般の航空券を売っている会社の窓口に連れていってしまいました。こちらとしては拓東路の雲南航空へ連れて行ってもらいたかったのですが・・・・
まあ そこでも良かったのですがまだ雲南航空の航空券売場に行った事が無かったので再度別のタクシーを捕まえて拓東路の雲南航空へ向かいました。ここで帰りの航空券を購入しました。530元、リコンファームが必要という事で芒市の雲南航空の電話番号を教えて欲しいと言ったのですが「知らない」との事、後日、仕方ありませんので旅先からJASの昆明のオフィスに電話して教えてもらいました。親切にも教えていただきました。感謝


その後 子供の為に金龍百貨で日本のインスタントラーメンなどを購入、まだ先は長いので中国の食べ物が口に合わない子供の為に買っておきました。更にその足で茶花賓館の対面の実験飯店にて夕食です。ここでT1さん、T2さん共、過橋米線を頼んだのですがどうも実験飯店だから美味しくないのか不評でした。

昆明汽車客運站へ戻り いよいよ騰沖へ向かいます。バスは定刻の午後7時を過ぎて8時頃やっと出発です。站の改修工事の為、混乱していてなかなか出発出来なかったようです。
午後11時頃 場所は多分 楚雄当たりの休憩所で休憩し、その後疲れていたせいかぐっすりと朝まで寝てしまいました。









10日目 騰沖





寝台バスは気が付くと保山の手前まで来ていました。大理から保山までの道路は高速道路の工事の影響の為 道が悪いと聞いていたのですが寝ていたせいか全く判りません。
午前8時頃 保山のバス站に到着、このバス站 大変さびれた站で停まっているのは数台の寝台バスのみでした。トイレ後出発

ここから怒江の紅旗橋を渡るまでは以前、パック旅行で来た時の道であの頃はまだ高速道路の工事が始まっていませんでしたが今は 保山より先の工事も始まっていました。当初 騰沖は午前10時に着くと運転手は言っていたのですが 初からそんな時間に着く距離ではなかったようで紅旗橋でもう10時です。前回はこの紅旗橋でパスポートのチェックがあったのですが今回は この寝台バスは全くチェックがありませんでした。

今までの地図ですとこの紅旗橋を渡る手前当たりで高黎貢山を越える道路を経て騰沖へ向かうはずですが 寝台バスは紅旗橋を渡って更に数Km進んだあたりで騰沖に向かう道路に入っていきました。この道路は出来たばかりで快適な舗装道路で大変 見晴らしが良く1時間ほどで峠に到着、ここの小飯店で昼食となってしまいました。私は方便麺。その後午後2時に騰沖の街に到着です。

取りあえず 宿の確保で地球の歩き方に載っていた「泰安賓館」へ、2つ星でバスタブ、熱水有りで120->80元でした。表示は120元でしたがいつも戛洒の小姐が交渉してくれて安くして貰っていました。久しぶりのオフロでした。

まだ時間がありましたのでサンタナ1台に乗り込んで騰沖の熱海へ、ここはリゾートになっているようで この熱海のエリアに入るだけで20元必要です。1ケ所熱水がグズグズとわき上がっている池がありますが 見所はここだけであとは中国の良くあるリゾートで日本人にはほとんど意味がありません。その事を戛洒の小姐に言いましたら「中国には少ない」との事、仕方がありません。

騰沖の街に帰り旅行社を2つほど訪れたのですが やはり9人乗り程度のワンボックスカーはチャーター出来ないが「騰沖1日游」のようなものは有るとの事でした。しかしこの「一日游」ですが価格が200元以上しますので5人では1000元以上掛かります。予算オーバーですので断念 チャーターを希望するワンボックカーですと 一日400-600元程度のようですが車両が余っていないようです。
その後夕食です。蝿がぶんぶんと飛び回っている所でした。以後 徳宏州はどこでも蝿にお目に掛かりました。夜は 配偶者と1時間ほど街の中を歩いてみましたが 騰沖はかなり大きな街で 時間があれば面白いと思うのですが 戦争中の日本と中国の戦いがここで行われている事を考えるとあまり呑気にしているのは考えものかもしれません。









11日目 騰沖(火山・和順郷)から梁河へ







さて 騰沖でどこに行こうかと予めみんなの意見を聞いていなかった為この日はそれぞれの希望が合わず困った事になりました。この日の観光と移動をどうするか決めかねていたのですが結局、前日 騰沖から熱海に行った時に頼んだ 騰沖賓館の車両部?の車で観光地を廻ってもらいそのまま、梁河に向かう事になりました。当初 梁河に3時到着150元という約束です。

車はサンタナで後部に4人も乗せて騰沖の北にある火山に向かいます。馬站という場所で20数Kmの距離があり道路はほとんど狗頭石でした。ここは千年ほど前の小さな火山(麓から2-300メートルの高さです)に階段を付けた観光地で 日本では決して観光地にならない代物です。私はこの階段に恐れを成して登りませんでしたが登った家族の話では景色は良かったが何も無いとの事、日本人にはお勧めしません。20元
昆明の西山竜門や石林のような 日本人にとって単なるみんなが行くから行くという程度の場所のようです。ただT1さんやT2さんは面白かったかもしれません

騰沖に戻りますと何故か運転手が交代してしまいました。この時3時に梁河着という事が次の運転手に伝えられていなかったようです。次に華僑の故郷 和順郷です。ここは華僑が多く出た場所で村の作りも漢族風の物が多く家と家の境界の塀がしっかり作られていました。村の中に有名な図書館がありますが 本はあったのでしょうか?。というのもT1さん、T2さん、子供はこの場所が気に入らないようで早く移動したいというのが顔に出ています。そして私の配偶者は逆にもっとゆっくりここにいたいと言うのです。困ったなと思っている内に私が持っているビデオカメラを地面に落としてしまい壊れてしまいました。

壊れたものは仕方ありませんが頭の中は壊れたビデオカメラの事でいっぱいです。そのまま和順郷の中を少し歩いて車まで戻りましたが 誰も何も言いませんのでそのまま車に乗って出発しましたら 配偶者が「何故こんなに早く出発するのか」とクレームです。このまま出発すると1時頃には梁河に着いてしまい当初の約束と異なります。更に私はビデオカメラの事で頭が一杯ですから 困ってしまい仕方が無いので一端 騰沖の街まで戻ってもらいました。

新しい運転手に梁河に3時に到着する約束について説明すると納得してくれて 取りあえず近くの国殤墓園へ向かいました。5人それぞれ意見が異なる上に、言葉の問題、運転手の質の問題などがあり、更に私はビデオカメラが壊れてしまってがっくり来てますからもう たまりません。
結局 午後1時半までは この国殤公園にいるという事で、戛洒の小姐は黙って墓園の入口で待っている事になりました。全員が満足する事は不可能ですから誰かがガマンするしか無いのですが、費用負担をこちらがしているから戛洒の小姐はガマンするというのでは可哀想です。でも戛洒の小姐は黙ってました。
ビデオカメラさえ壊れなければもっと予定について説明をしたのですが私自身は板挟みで大変困りました。理屈や約束など守られない事が往々にして起こる中国で予定を詳しく説明しろと家族から責められても言葉が不自由な人間に無理な相談です。

その国殤公園で1時半までの間に運良くビデオカメラの応急修理が終わり気まずい雰囲気の中をサンタナは梁河に向かっていきます。この国殤公園は日本軍と中国人の騰沖での戦いを慰霊するもので資料館も立っていて一応見学はしました。この辺りの事は川野和子著「中国魅惑の雲南 1万2千キロの風景」(株)新評論で詳しく書かれていますのでそちらを参考にして下さい。

騰沖−梁河もそのほとんどの道路が狗頭石の道路でゴトゴトと車は揺れながらもう2時過ぎには梁河に到着してました。これも配偶者には気に入らなかったようです。(梁河到着3時も最初の運転手が決めた事ですが)

梁河は騰沖と盈江の中間にある県で騰沖は漢族の街でしたがこちらへ来るとタイ族もいます。T1さん、T2さんも道端のタイ族の人と片言ですがタイ語で会話出来たと喜んでいます。又 阿昌族の女性も見かけました。今回は時間が無く梁河は通り過ぎるだけとなってしまいました。

梁河は小さな県城のようで大きな宿がほとんど無く、宿は梁河賓館になってしまいました。80->60元でした。(この日から贅沢にも子供が一部屋を使うことになりました。)一つ星でバスタブ、熱水有りでオフロが使えました。初めての一つ星のホテルに泊まるのかもしれません。
チェックイン時に餐庁楼でボヤ騒ぎがあり、梁河賓館の男性が消火器を持って駈けて行きましたがすぐ消し止めました。

いつも新しい街に到着すると街の地図を買い求めるのですが小さい街には地図はありません。この梁河も地図は無く どこを参観すれば良いのかわかりません。今回地図が無かったのはここだけです。街の大きさは長さ2Km巾数百メートルぐらいでしょうか
昼食は梁河賓館の近くでしたが適当な場所が無くて夕食も結局 同じ所でした。ほとんどがあまり綺麗でない小さな所ばかりで困りました。それでも冷飲所が何ケ所かありましたので夕飯後 レモン水を飲みに出かけました。そこの近くでは発水節の練習が行われていました。もうすぐ発水節です。その後 近くの屋台でビールを飲んでいました。








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