■日中混成−徳宏へ その四








12日目 梁河から盈江へ






梁河の朝は小雨で始まりました。いよいよ雨期かなと思っていましたが雨は朝方だけで以後 帰国まで全く降らず助かりました。
昨日のタクシー?には懲りましたので今後は街と街の移動は公共汽車を使う事に内心決め梁河のバス站を探してみましたら梁河賓館から200メートルほど盈江よりに小さなバス站がありました。いろいろ地元の人に聞いてもそこだけのようで梁河の街の大きさとバスの站の大きさは比例するようです。ここの公共汽車も站は小さく、その代わり公共汽車は一旦、站を出発しても小さな梁河のメイン通りを流してお客さんを探してから本当に出発です。こういったスタイルで出発する事は各地であるようです。
ここで午前9時発の盈江行き(20元)(距離の割には高い 雲南では今 5,6Km=1元が相場)に乗り曇り空の下 出発です。朝食は面倒なので今後全員で食べず各自で食べようという事になりました。その為 以後朝食はほとんど食べていません

中巴は山間いの道路を進んで行きますが道路は舗装で快調に飛ばして行きます。その後 段々と平地になり稲の刈り入れの終わった水田の間を平均時速80kmほどで進んでいきます。梁河−盈江の距離もそれほど無く、道路も快適なので昼前には大盈江に掛かる拉戸練大橋を越えて盈江の街に入っていきました。

中巴は街の東側の汽車站に到着し早速 宿探しです。中巴の車内から見えた近くの交通賓館に行ってみますと風呂無しで150元で高いだけで不可。面倒なのでタクシーで適当な宿に連れて行ってもらいました。着いた所は「大和園賓館」あまり新しい建物ではありませんが2つ星で風呂有り、朝食付き、80元という事で、ここに決めました。服務員はビルマ風の制服で笑顔で接してくれます。
部屋に向かう時にロビーの新聞を見ますと1週間遅れで日本の芸予地震について書かれています。発生が24日という事ですが子供は祖父と20日は広島に行っていてひと事とは思えません。現在の様子はどうなったか心配ですが関西ですから・・・・・
そういえば今回はほとんど中国のテレビを見てませんので世の中と隔絶してしまったような気持ちです。


お昼は近くの餐庁へ。盈江はかなり大きな街で、町並みも綺麗で餐庁は少し蝿がいる程度でした。冷飲所もあり スーパーマーケットもありなかなか良い街のようです。
昼食後 明日の観光の為に車をチャーターしなければなりませんので街の中で戛洒の小姐に頼んで聞いてもらいましたら、やはり軽自動車のワンボックスカーが沢山いるという公共汽車西站へ行ってみる事になりました。大概 このワンボックスカーは乗合で近隣の村と結んでいるのですが交渉すればチャーター可能です。本当は9人程度(日本の普通乗用車の規格)のワンボックスカーがベストですが 今回は全て軽自動車のワンボックスカーしか出会いませんでした。
公共汽車の西站の前で何台がワンボックスカーが泊まっていましたので交渉してもらい1日、200元という事で程度の良い車両に決めて、明朝ホテルに来てもらう約束をしました。目的地はビルマとの国境の那邦で往復200Kmほどですから価格的には安いと思います。

一端ホテルで休憩後、配偶者と二人で街の中をうろうろと歩いていきますとタイ風の洋服店があり、ミシンを並べて採寸をして作ってくれるというで一着 頼んでみました。250元
多少 太っている配偶者は在庫していた生地でも大きめものでないと作ることが出来なかったようです。汗−

夕食はホテル近くの羊肉のシャブシャブのお店でした。私は北京以来ですし、家族は初めてという事でした。












13日目 盈江−那邦へ







この大和園賓館は朝食付きでしたので餐庁へ。午前8時半 昨日のワンボッスカーの運転手が予定より早く来ています。熱心な人だと思ったのですが・・・・・・

運転手を含めて6人の乗客を乗せてビルマ国境の那邦に向けて出発です。片道100Kmですから1日がかりです。盈江の街を抜けると道路はすぐに狗頭石の道路になり40Km/hぐらいのスピードで徳宏特有の水田と竹林に囲まれた農家の間を進んでいきます。以後 那邦まで全てこの狗頭石の道路でした。乾期の最後で風景もどことなく茶色で水気がありませんが、雨期などはもっと緑も映える景色となるでしょう。大盈江の北側を太平鎮を過ぎ那邦へ向かう道路に入ります。

ここからは山間の道路で人家もあまり見かけません。目的地の那邦へは盈江の汽車西站から1日10本ほどの公共汽車が出ていて一般の車はほとんど見かけませんが、この公共汽車だけは良く見かけました。中国の常ですが細い道路でほとんど対向車にすれ違わなくてもその先には街があります。

盈江から1時間ほどで山間の村落の銅壁関に出ます。ここは辺防検査所がある所で車を停めてチェックしていました。戛洒の小姐は全くノーチェックでしたが外国人はここから先は駄目という事でしたが運転手と戛洒のT1さんが交渉してくれ、私たち3人のパスポートをここに預けるという事で通過の許可が降りました。

そこから更に30分ほど山道を走ると道路の左側(西側)が谷になっていて更にその先は小さな尾根が見えてきました。運転手の話ではそこがビルマという事です。暫くこちらも高度を下げながら走っていくと家が何軒かある集落に出会いました。ここの中の農道に車はやっとの事で入って悪路を3Kmほど上がっていきますと、榕樹王と呼ばれるガジュマルの大木がある場所に出ます。
この大木は何本かの榕樹の木が集まっている所で樹齢300年、全体の面積はバスケットボールのコートがあるでしょうか。参観料1元、地元の年配の人がお土産ものを売りにきます。よく見ると直径2メートルほどの榕樹が数十本ほど固まって生育しているようで大きな森のようになっていました。この榕樹王は中国最大と雲南のガイドブックには出ていました。?

榕樹王から更に30分ほど走ると中国とビルマの国境の那邦です。明るい陽射しの中で非中国的な雰囲気が漂う街でした。昼過ぎでしたので食堂で昼食です。子供の炒飯もソース味で出てきたり、ビールもビルマのものでした。残念ながら瓶ビールが無く缶ビールだけでした。料理の味付けも中国の味付けではありません。食堂の壁にはビルマのポスターだらけです。非中国的な味付けで満足していると支払いは95元とこの旅一番の高さでした。

車をその食堂に置いて国境の橋に向かいます。すると橋の全長が10メートルほどの国境の橋がありました。国境といっても中国側、ビルマ側に全く国境管理をしている人間がいません。(だから銅壁関で外国人を通したくなかったのでしょう)橋にも国境を表示するものが全く見えません。ただ 小さな川の近くに街があるだけでした。

この那邦は中国側ですか街の中に何台かの大型トラックが停まっています。荷台には直径1メートル以上の大木が積まれていて全てビルマ側からやってきているようでした。もうこのような大木は中国では見かけませんし、もしあっても伐採は禁止されているようでビルマ側からの輸入が行われているものと思います。この国境の川のビルマ側には、この大木を集積している場所も見かけました。

橋のビルマ側にはビルマの商品を売っているお店が何十軒と出ていて雑貨、農産物、食料品などが売られていました。面白いのはSONYブランドのTシャツまでありました。暫くビルマ側にいたのですが 陽射しが強く真夏のような暑さの為、引き上げました。帰りに昼食の食堂でトイレを借りましたら、タイ式の自分で水を汲んで流す方式で清潔でした。

ここで帰りの車には一人乗客が増えている事が判明、運転手がこちらの了解なく那邦の女性を乗せて盈江に向かうようです。この運転手は包車の意味を理解していないようです。最後部の戛洒の小姐の所に乗るようで狭いだろうなと思いつつ、パスポートが銅壁関に預けてありますのでトラブルを起こしてパスポートを返して貰えない事になったら大変という事で我慢でした。今までの経験ですと 田舎へ行くほど運転手のマナーは低下するようです。

3時過ぎに那邦を出発、銅壁関で無事パスポートを返却してもらい、盈江へ戻ります。運転手に文句の一つも言おうかと思っていたのですがその気力もなんとなく無くなり「ここは中国だから」と自分に言い聞かせて乗っていました。
車が水田地帯に入ると周りの農家はタイ族の農家です。折角ですので車を停めて農家に寄っていく事にしました。太平鎮賀賀村です。村の中を歩いていくと大概 家に誰かがいる家がありますので一声掛けて家の門をくぐります。最初に入った家には就学前の子供が3人、婦人が2人ほどいて、戛洒の小姐と会話が始まります。同じタイ族でも異なる土地という事でタイ語も一部しか通じないようですがそれでも 戛洒の小姐は嬉しそうです。
庭先にあった渋いグミを貰ったのですがあまりの渋さに食べられません。井戸があったのですが地下水位がそれほど低くないようで日本の田舎の手押し式の井戸ポンプがありました。しかし実際は電動ポンプを使っているようで手押し式は錆びていました。面白いと言っていましたら手押し式の方に呼び水を入れてくれて動かしていましたら水が出てきました。多分地下水位は数メートルぐらいでしょう。

2軒目の農家に行き配偶者が農家の住所を家人に書いてもらおうとした時に配偶者の持病の足の筋肉の筋を痛めてしまい、以後 配偶者は痛いといいながら足を引きずってしまいます。仕方がありませんので車を農家の前まで動かしてもらい盈江に戻る事になりました。

配偶者の足は自力で歩けない程度のようで心配ですので盈江の街で診療所を見つけ、私と配偶者だけ車から降りて診てもらう事にしました。
公共汽車西站前の診療所はベッド一つがあるだけですがここの婦人がいろいろと面倒を診てくれてかなり回復したもようですがやはり自力ではちょっと無理のようです。

ホテルに戻ろうと思ったのですが昨日 タイ風の洋服を頼んであったのを思い出してタクシーで取りあえず行ってみる事にしました。すると既に出来上がっておりました。ここのお店は家族経営のようで、足を引きずっている配偶者を見て自家製の痛み止めを出してきて足に塗ってくれました。この自家製の薬は白酒に何かの木の根を浸けたものなのですが先ほどの診療所の薬より効き目が強く 洋服を着る前に随分と塗っていました。この薬、臭いを嗅いでいると飲みたくなってきます。しかしここのお母さんが飲むと死ぬという事を盛んに言います。帰りには小瓶にこの薬を分けてくれてホテルに戻りました。
配偶者はこの後、2,3日この薬を日に3回ほど塗っていました。

夕食は私と戛洒の小姐のみ街に出て快餐で済ませました。










14日目 盈江から瑞麗へ




盈江の街は徳宏の長閑な雰囲気があり、又街の規模も丁度良く、私たち家族は好感を持った場所となりました。もう1日ほど滞在したいのですが芒市で飛行機に乗らなければなりませんので先へ進みます。

盈江から瑞麗は西站から午前9時半の公共汽車で行くことにしてホテルからタクシーで向かったのですが私が「西站へ」と言っておいたのにも関わらずもう一台のタクシーの運転手が戛洒の小姐だけ東站へ連れていってしまいました。瑞麗行きのバスは結局、東站始発で西站で更にお客を乗せ瑞麗に向かうで同じではあるのですが。
西站で待っているとやっと戛洒の小姐もやっとやってきました。そこでバスの座席でいろいろもめたのですが結局 当初の予定どおり9時半に瑞麗に向かいました。21元
この辺りのもめた理由が今ひとつよくわかりません。

盈江から狗頭石の道路をかなりのハイペースで龍川県へ向かいます。大盈江近くは水田地帯ですがそこから戸撤まではかなりの山間を走り 乾期の終わりで道路はもうもうとホコリが巻き上がります。同乗していた中国人の女性が車酔いで窓を開けています。その内 運転手が小川の脇に中巴を停めてバケツで車体の外側を洗っていました。綺麗好きな運転手でした。

戸撤近くになると再度 平地に降りてきます。道路沿いには阿昌族のお土産用の刀を売っているお店も見かけます。その後 再度山間の道に入り龍川に向かいます。この山はそれほどでも無く龍川のある平地に降りてきますと、砂糖きびが栽培されている畑が一面に見えてきます。龍川の街は北側に今までの市街がありますが南側は新市街で新しい建物が沢山、建築中で完成すれば瑞麗などよりも近代的な街になるでしょう

龍川到着がお昼頃でしたのでここで昼食かと思っていると更に南側の道路を上がっていきます。暫くすると大変快適な道路に出ます。ここから瑞麗までは又 一山越えるわけですが結局 瑞麗の麓までこの快適な道路が完成していて30分ほどで瑞麗の市街に入っていました。3時間半でした。

瑞麗の街は以前来た時のように気怠い暑さで迎えてくれ、瑞麗の汽車站で公共汽車を降りた私たちは「メコンの国」に出ていた明瑞賓館に向かって見る事にしました。
瑞麗のタクシーはいろいろなタイプがあり、5人組の私たちは軽自動車で前が4人乗り、後ろが荷台というタクシーに乗り本来なら歩いても行ける明瑞賓館に到着です。
明瑞賓館は星無しで50元(表示どおり)バスタブはありますが熱水無しでした。それでも部屋は大きな窓があり開放的な雰囲気の部屋でした。

チェックイン後、明瑞賓館から1本北側の辺貿市場近くで昼食でした。
午後からは 特にする事もなかったので部屋で寝ているか冷飲所へ行っていましたが明日の観光の為の車探しです。先ほど到着した汽車站前に包車の案内所がありT2さんと共に9人乗りのワンボックカーについて聞いてみましたがどうも無いらしく断念、そこの交差点近くにはやはり軽の1BOXカーが沢山いましたので結局そこで当たってみすと 夜8時まで可、250元という条件で1台見つける事が出来ました。
距離の割には高いのですが 戻ってくる時間が夜8時までと決めておけば多少の遠回りはOKだと思います

夕食は 全員で軽の乗用+貨物のタクシーに乗って町中へ出て済ませ 自由解散となりました。辺貿市場は現在 通りの真ん中の屋台が全て撤去され道路両脇のお店と撤去された屋台の土台に直接商品を置いているお店で成り立っています。前回もそうですが 欲しいと思う商品は全くありませんでした。
その通りから歩いて民瑞賓館まで歩いていきますと広場で発水節の踊りの練習が行われていました。同じ広場では踊りの練習と共に、ディスコや簡単な子供遊園地となっていて夜11時頃まで賑わっていました。この発水節の踊りは何パターンかがあるようで練習の指導をしている人が笛を吹くとこのパターンを変えていきます。こちらの発水節は西双版納の発水節と違って水を大量に撒かず方にちょっと掛ける程度と聞いていますのでビデオカメラや銀塩カメラを持ってきても大丈夫かもしれません。









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