■雲南省戛洒鎮 10回目 その三







8日目 戛洒滞在五日目






戛洒最終日です。今回 水害のせいもあって戛洒からどこにも出かけずあまりにももったいないので近郊で一番気に入っている 曼秀老寨 に行って見ることにしました。近くですので歩いて行ける距離ですが体調も本調子でないので汽車站に行って軽のワンボックスカーを頼んでみました。1時間程度の包車で数十元という事で思ったより高いので片道だけお願いして行って見る事にしました。

曼秀老寨に向かっていき寨門の手前まで来ると12月に元江で写真撮影した女性と出会いました。そこで車を降りて彼女が洗髪をするというで一緒についていきました。
そこは曼秀老寨と大賓榔園との交差点で、傾斜地の上から本当に小さな小川が流れてきていて樋から綺麗な水が流れています。ここでここの人達がこの水を使っているのでしょう。彼女が洗髪している間、何故か道路の草の上にお爺さんがずっと座っていました。こちらがチェキを取り出して1枚撮影して差し上げましたが、ずっと嬉しそうにそれを見ていました。

彼女の家にちょっとだけ寄って 帰りは歩いて戻ります。曼秀老寨の風景はいつ来ても素晴らしいと思うのですがT2さんの話ではここの暮らしは大変だという事でした。見るのと生活するのでは違うという事でしょう。

この日 T2さんと「戛洒村弁事処」へ。初めて行ってみたのですが郵便物が事務所入口に置いてあるだけでした。近所の人への郵便物が100通ほど置いてあるだけで誰も管理していないようで、訪れた人が自分のを探して持っていくシステムです。基本的に郵便物を各家庭に配るという事は無いようです。私が送ったVCDや写真の入った大きな郵便物は発見出来ません。届くのが遅いのか、検閲で引っかかっているのか、問題があって没収されたのかは判りません。
中国の郵便の実態を見たように思います

明日は昆明へ戻りますが前回3月の時にT1さん、T2さんと共に昆明に寄ったのですが雲南民族村に行こうという話もあったのですが残念ながら日程の都合で二人だけ行けませんでしたので誘って見る事にしました。するとT1さんはまだ稲刈りが済んでいないという事でした。又T3さんのご主人が暇があるという事で結局、T2さんとT3さんのご主人で昆明へ行くという事になりました。










9日目 戛洒から昆明へ






南江飯店を午前6時半退房です。誰も服務員がいませんので黙って出てきてしまいました。一応前日に話しておいたので問題は無いでしょう。それに魔法瓶の代金と押金は多分押金の方が多少多いようですから・・・
T2さんの家に行き汽車站に向かいます。私とT2さん、T3さんのご主人の三人は午前7時15分のバスで新平に向かいます。汽車站にはT3さんも送りに来てました。

バスは古い車体でゆっくりと進みます。舗装が終わってもこんなに古い車体ではスピードも以前とほとんど同じです。先日の大雨で不通になった箇所もなんとか復旧が終わり腰街を過ぎ、元江の橋を渡り、新平県城への長い登りにかかりますと何カ所かのやはり水害で崖が崩れている地点を通過します。中には石が現在もゴロゴロと崩れ掛かっている箇所もあり細心の注意を払って通過しました。

新平県城から17Kmの寝台バスがUターンした場所も過ぎ、午前十時半、三時間以上かかって新平県城に到着しました。玉渓・昆明へのバス站に行ってみますと雨の為 道路が不通との事で暫く待ってみる事にしました。30分ほど待つと出発するというで何台かのバスがお客を乗せ始めました。いつもは切符を持っていないと乗せない站ですがこの時は窓口の切符の発売が行われていず、全てバス内で支払いをしました。

午前11時バスは小雨の中を玉渓に向けて出発です。私が昆明からやってきて新平にきてUターンして玉元高速に戻った道路を再度通行するわけですが その時よりも雨の影響を受けているようでかなりの場所で新道が崩壊していました。新道と旧道のそれぞれ通行出来る方を選んで大開門までやってきて玉元高速に入ろうとする登り方面が通行不可との事で一般道を玉渓に向けて走り出しました。

玉元高速の次のインターチェンジの化念では無事 高速道路に入れ後は順調に玉渓に到着、いつもより早い1時間40分しか掛かっていません。玉渓では昼食後、午後2時の高速バスで昆明へ。

昆明午後3時着、今回も官渡区の旅游バス站に到着ですのでタクシーで茶花賓館へ。ここでは何故か一晩120元と言われ、今までずっと100元ですと言って100元にしてもらいました。戛洒の人と一緒でしたが茶花賓館の中国人が一緒というのはやはり珍しいようです。
チェックインが済んでから支度をして昆明の街へ三人で出て、取りあえず私が昆明にやってきた時にいった正義路のカメラ屋さんに行く事にしました。正義路のカメラ屋さんには修理の担当者がいて部品のフォーカシングスクリーンも在庫があり10分ほどで取り替えて貰えました。修理費込みで60元也、私としては複雑な思いです。直って嬉しいのですが では以前昆明の旅行社のガイドTさんに部品の手配を頼んだのは一体なんだったのでしょう。心穏やかならぬものがあります。彼にはミノルタの一眼レフの本体とレンズを2本をお土産に差し上げています。その結果がこの現実です。いかに良質な日本語ガイドに巡り会えるかはとても難しい事と改めて感じます。(彼は今でも日本からのお客さんをパック旅行で雲南を案内しているでしょう。私の所からリンクしている方もお世話になっているようです)

同行してもらっている戛洒の人達のような一般の人からはこういった他人を蔑ろにするという事は感じません。高学歴で高所得の昆明に住むような人の中に問題が多いように思います。1998年7月にもパック旅行で問題のある日本語ガイドに出会いその為に2年ほど後始末に掛かりましたが個人的には旅行業関係者の問題行動・発言は中国の一般の人々よりも明らかに多いように思います。

その後 3人で歩いて近日公園の百貨店へ、私は鳳凰のカメラを見てましたが二人は洋服売場の方へ行っていたようです。午後5時過ぎになりましたのでタクシーでシ真池路の愛イ尼山庄へ向かいます。百貨店の前でタクシーに乗りましたがそのタクシーはバスの西站まで行ってから南下しました。何度も道が違うと指摘しても取り合ってくれませんのでタクシーの助手席に乗っていた私は中国で初めて 大声で抗議してみました。どうも外国人で道を知らないと思ったようで遠回りしたようです。後ろにはT2さんとT3さんのご主人もいますが道路はよく判らないだろうという判断もあったようです。運転手から反撃があるかと思いましたがありませんでした。愛イ尼山庄について26元のメーターでしたが25元でした。多分 20元以下です。
カメラの修理の件もあり一部の中国人に対する不信感が私の主張を強くしたようですが、周囲の状況判断は必ず必要ですが 納得の出来ない事は抗議すべきでしょう。

愛イ尼山庄で久しぶりに夕食という事で訪れてみますといつもの小姐がいます。ステージが見る為に頼んでステージよりのテーブルをお願いしました。菜単をT2さんに渡して頼んで貰ったのですが 日常の癖か経済的な頼み方をするのでテーブルが寂しく感じられますが、そういった性格だからこそ安心してお世話になる事が出来るわけです。

ステージが終わり、最後にテーブル毎に配られた抽選券で抽選が始まりました。T2さんがステージに上がり、竹筒酒が当たりました。戛洒の母親に持って帰るそうで、酒鬼のT3さんのご主人は残念がってました。

タクシーで茶花賓館に戻り、近くのインターネットカフェに三人で出かけ、T1さんとT3さんの写真のあるこのホームページを見てもらいました。T3さんのご主人は結婚される前のT3さんの写真を初めて見たようです。
T2さんは高級中学の頃 パソコンを使った事があるそうで、ピンインで文章を打っていました。

茶花賓館に戻りますとT3さんのご主人の所へ彼の生家のある新平県の新化出身のご夫婦がやってきて出かけて行きました

私達が良く泊まる3号楼にはチベット行きの旅行社が1階に入っていてジープでラサまで行くツアーを催行しています。







10日目 昆明 民族村




朝 7時半タクシーで雲南民族村へ。30分で到着、朝食を済ませましたがなかなか広場での踊りが始まりません。やっと午前9時広場前での踊りが始まりました。今回は前回より規模が小さいようで、どうも団体さんが来園した時に踊りの規模が大きくなるようです。
それでもいつも通り民族村の数十人規模の踊りがあり、その後園内へ
T2さんは初めて、T3さんのご主人は二度目だそうです。私は摩梭の家に直接向かいました。二人は西蔵の建物へ向かいました。摩梭の家で落ち合う約束をしたつもりでした。

摩梭の家で2時間ほどお邪魔してました。現在 麗江からニンランまでの新道の舗装工事が終わり3時間で行けるそうで ニンラン−瀘沽湖が2時間ですから 5時間で麗江−瀘沽湖へ行けるそうです。
1時間に一度ほど摩梭の家では団体さんが来るといつもの踊りがあります。この日は日本人とは合うことはありませんでした。昼近くになっても同行の2人がやってこず、こちらも近くをうろうろ探してみましたが発見できず入口近くに出来た休憩所で1時間ほど昼寝をしてしまい、雨の中 午後3時頃 路線バスを乗り継いで茶花賓館に戻りました。
すると既に二人は先に戻っていました。やはりまだ昼食は食べていないという事で道路の反対側の実験飯店で米線を食べ、雲南民族学院の近くの電脳店へ行こうという事になりましたが、T3さんのご主人はやはり新平出身の人と会うという事で一人出かけて行きました。

T2さんと二人で民族学院近くの電脳店へ、ここでショップブランドの製品を見ましたがCRT込みで4000元程度からありました。但しwindowsMEはハードディスクだけに入っているそうです。もしここで購入して戛洒に送ってもらうとすると一般のバスの天井に乗せてくれるという事でしたが、バスの振動などでとても心配です。お店の人は大丈夫というのですが やはり心配です。単独で送ってもらうと1台でも10台でも1000元ぐらいとの事でした。それなら戛洒から包車を出して購入しに昆明に来た方が安上がりです。

近くの電脳専門書店に行き T2さんの為にWINDOWSとインターネットの入門書を購入、そこから道路を折れ、いつもの北京ダックの銀河酒店へ。どうもT2さんは北京ダックが好きではないらしいのですが私に合わせてくれているようです。いつもは1羽分頼むのですが(88元)服務員に聞いてみますと菜単には載っていないが半羽というのがあるそうなのでそれを頼みましたが、二人で充分な量でした。

ここも小さなステージがあり漢族(満族)のショーが少しばかりあります。午後7時頃茶花賓館へ戻ります、T3さんのご主人とは午後11時までという約束でまだ時間がありますので再度 近くのインターネットカフェへ。
インターネットカフェで使っているパソコンですが3台のマシンがあってそれぞれLANで繋がっていて1台だけ一般回線でダイアルアップしてしました。時間がありましたのでT2さんがメモ帳で何かを書いていましたら一般保護違反が出て 再起動してしまいました。それがダイアルアップしていたマシンでしたので起動後 ダイアルアップ不可になってしまい気まずい思いをしました。パソコンのような低信頼の環境を金銭を取って時間貸しをする事自体そういった事が起きても不思議ではありませんが、私たちが悪い事でもしたように思えてなりません。お店の人が30分ぐらいいじって修正していました。











11日目  日本へ






帰国の日です。昼までは時間がありますので三人で午前中、火車站近くの螺(虫師)湾日用品批発市場へ行くことになりました。今回T2さんは昆明に行く事を何人かの人に話してきてしまったそうで、そのお土産を購入する為だそうで、いろいろな雑貨や衣類を購入してました。私もうろうろと見ていましたが 浙江省の義鳥の日用品市場を思い出します。(今年2月家族がそこへ行っています。)

T3さんのご主人はT3さんの為に妊婦服を買っていました。私はニッケル水素電池が安かったので買ってきましたが 日本に帰ってきて使ってみましたが全く使えない偽物でした。普通の電池と同じ価格でしたからひょっとしたらと思ったのですが外観からはわかりません。

結局かなりの商品を買い込んで茶花賓館に戻りました。その後 あまり乗り気ではないT2さんと一緒に過橋米線を食べに行きましたがやはり「戛洒の米線の方が美味しい」との事、私もその意見がなんとなくわかります。
その後 二人を南窯の汽車站で降ろして別れました。私は飛行場へ。

飛行場では残念ながら時刻表が手に入らず 窓口で昆明−臨滄の時刻を聞いてみましたが日曜と木曜の朝7:10発という事でしたがよくわかりません。
また 飛行場の建設税が今までドアを入った所で購入していたのですが今はドアの手前で購入するように変更されていてしかもその場所に服務員が当初おらず困りました。

前回 搭乗口で「雲南は何回目ですか?」と聞かれたJASの女性と再会して今度は「どこへ行ってきたのですか?」という事で新平の話をしておきました

以後 無事日本へ。


今回は 雲南の雨期の体験をしましたが例年より雨量が多く戛洒への道路が折角全線 舗装化されたばかりなのに残念です。
戛洒の人々の親切に較べ、昆明でのあまり愉快でない体験は対象的でした。その人の人柄の良さはその人の経済力と比例しないという思いを増々強くしました。そういう意味でも戛洒を訪れる事はいつも私をシアワセな気持ちにしてくれます。

戛洒に郵便で送ったビデオCDと写真は私が帰国して1週間ほどして戛洒に到着したそうです。結局、日本から40日ほど掛かったようです。やはりビデオCDが入っていたので検閲を受けて遅くなったものと思われます。





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